【姓名】 曹纂(そうさん) 【あざな】 ?
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
曹休(そうきゅう)の息子
父は曹休だが、母は不詳。曹肇(そうちょう)は兄。
曹丕(そうひ)の時代(220~226年)、曹纂は曹休の封邑(ほうゆう)から300戸を分与され、列侯(れっこう)に封ぜられた。
後に殄呉将軍(てんごしょうぐん)まで昇って死去し、前将軍(ぜんしょうぐん)の官位を追贈された。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・劉放伝〈りゅうほうでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く郭頒(かくはん)の『世語(せいご。魏晋世語〈ぎしんせいご〉)』には、238年12月、曹叡(そうえい)が死の間際に劉放と孫資(そんし)の意見を容れ、曹爽(そうそう)と司馬懿(しばい)を起用するくだりがあり、大将軍司馬(だいしょうぐんしば)として曹纂の名が見えます。
この後、曹宇(そうう)・夏侯献(かこうけん)・曹肇・秦朗(しんろう)は免官になっていますが、曹纂についてはどうなったのかよくわかりませんでした。
また『三国志』(魏書・趙王幹伝〈ちょうおうかんでん〉)には、234年に曹幹(そうかん)が勝手に賓客と交際した罪を問われた際、曹叡が下した詔(みことのり)が載せられており――。
その中に「いま担当官吏は、曹纂や王喬(おうきょう)らが九族の集う時節だということで王家(趙王家)に集まったが、その時期に外れていたこともあり、禁令に違反していると上奏した」という部分があり、ここに曹纂の名が見えています。
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