【姓名】 張存(ちょうそん) 【あざな】 処仁(しょじん)
【原籍】 南陽郡(なんようぐん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
戦死した龐統(ほうとう)を批判して免官される
父母ともに不詳。
211年、張存は荊州従事(けいしゅうじゅうじ)として劉備(りゅうび)に付き従い、蜀(しょく)へ入る。
翌212年、劉備は葭萌(かぼう)から反転して劉璋(りゅうしょう)を攻めた。
翌213年、張存は引き続き従軍して南方の雒(らく)まで進み、広漢太守(こうかんたいしゅ)に任ぜられる。
翌214年、雒城攻めの最中に、流れ矢を受けた龐統が戦死する。劉備は龐統を賛美し、彼の死をひどく惜しんだ。
だが、張存は以前から龐統のことを評価しておらず、こう言った。
「龐統は忠義を尽くし、惜しむべき人物ではありますが、君子の道に反しておりました」
これを聞いた劉備の怒りを買い、張存は免官され、ほどなく病死(時期は不明)した。
管理人「かぶらがわ」より
上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるもの。
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。『季漢輔臣賛』には(張存は)計策を立てた人物だとありますが、詳しいことはわかりませんでした。
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