夏侯恵(かこうけい)

【姓名】 夏侯恵(かこうけい) 【あざな】 稚権(ちけん)

【原籍】 譙国(しょうこく)譙県(しょうけん)

【生没】 ?~?年(37歳)

【吉川】 第301話で初登場。
【演義】 第102回で初登場。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・劉劭伝(りゅうしょうでん)』に付された「夏侯恵伝」あり。

学問によって名を上げた夏侯淵(かこうえん)の六男

父は夏侯淵だが、母は不詳。夏侯衡(かこうこう)・夏侯霸(かこうは)・夏侯称(かこうしょう)・夏侯威(かこうい)・夏侯栄(かこうえい)はみな兄で、夏侯和(かこうか)は弟。

夏侯恵は幼いころから才能と学問によってたたえられ、奏議(上奏文の一種)を書くことに優れていた。「散騎侍郎(さんきじろう)」や「黄門侍郎(こうもんじろう)」を務め、しばしば鍾毓(しょういく)と議論を戦わせたが、その多くでは夏侯恵の意見が採用されたという。

のち「燕国相(えんこくのしょう)」を経て「楽安太守(らくあんのたいしゅ)」に転じ、37歳で死去(時期は不明)した。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。上で挙げた記事は、『三国志』(魏書・夏侯淵伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く荀勗(じゅんきょく)の『文章叙録(ぶんしょうじょろく)』によるもの。

夏侯氏は魏において曹氏(そうし)に準ずる扱いを受けていますが、7人兄弟の名や事績にまで触れられているのはスゴいことだと思います。父の夏侯淵は無数の戦功を立てた名将ですけど、息子の中には夏侯恵のように学問を評価された人もいたのですね。

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