韋誕(いたん)

【姓名】 韋誕(いたん) 【あざな】 仲将(ちゅうしょう)

【原籍】 京兆郡(けいちょうぐん)

【生没】 ?~?年(75歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・劉劭伝(りゅうしょうでん)』に付された「韋誕伝」あり。

文才にも恵まれていた能書家

父は韋端(いたん)だが、母は不詳。韋康(いこう)は兄。

韋誕は文章を作るのがうまかった。建安(けんあん)年間(196~220年)に郡の「上計吏(じょうけいり)」となったが、特に「郎中(ろうちゅう)」に取り立てられる。

のち昇進を重ねて「侍中(じちゅう)・中書監(ちゅうしょかん)」となり「光禄大夫(こうろくたいふ)」の時に退官。私邸に帰り、75歳で死去(時期は不明)した。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。上で挙げた記事は、本伝の裴松之注に引く荀勗(じゅんきょく)の『文章叙録(ぶんしょうじょろく)』によるもの。

また、韋誕は邯鄲淳(かんたんじゅん)や衛覬(えいき)とともに書の名人としても知られており、衛覬の孫の衛恒(えいこう)が著した『四体書勢(したいしょせい)』の篆書(てんしょ)に関する序文では、韋誕が邯鄲淳から篆書を学んだことに言及していました。

曹叡(そうえい)の太和(たいわ)年間(227~233年)、韋誕は「武都太守(ぶとのたいしゅ)」になるところを能書家だったため都にとどめられ、「侍中」に任ぜられたのだとか。魏氏の宝器の銘文はすべて韋誕の書だという、ともありました。

同じく『四体書勢』の草書に関する序文によると、韋誕は張芝(ちょうし)から草書を学び、師のことを「草聖(草書の聖人)」と評していたそうです。書体ひとつを取ってみても、それは多くの先人たちの尽力によって成立しており、たいへん意義深いものですね。

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