趙氏(ちょうし)B ※曹操(そうそう)の妻、趙姫(ちょうき)

【姓名】 趙氏(ちょうし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹操(そうそう)の側室、趙姫(ちょうき)

父母ともに不詳。曹操との間に曹茂(そうぼう)を儲けた。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・楽陵王茂伝〈らくりょうおうぼうでん〉)によると、「曹茂は傲慢で強情だったため、若いころから曹操に好かれなかった」ということです。

「曹丕(そうひ)の時代になっても、ひとりだけ王に封ぜられなかった」ともありました。

それでも曹叡(そうえい)に代わった227年、中丘公(ちゅうきゅうこう)から聊城公(りょうじょうこう)に移封された後、ようやく同年に聊城王とされました。そして、232年には曲陽王(きょくようおう)に移封されます。

242年に東平霊王(とうへいれいおう。曹徽〈そうき〉)が薨(こう)じた際、曹茂はのどの痛みを理由に悲しみの声を上げようとせず、生活や宮殿への出入りも普段通りでした。

この件では、詔(みことのり)により1県500戸が削られています。楽陵に移封されたのは244年のことです。

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