王氏(おうし)J ※曹芳(そうほう)の妻、王貴人(おうきじん)

【姓名】 王氏(おうし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹芳(そうほう)の側室、王貴人(おうきじん)

父母ともに不詳。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・斉王紀〈せいおうぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く王沈(おうしん)の『魏書』によると、「曹芳は251年に甄皇后(しんこうごう)が崩じた後、新たな皇后として王氏(王貴人)を望んでいた」という。

「しかし、郭太后(かくたいこう)は外部から探したいという考えだったために対立。結局、252年に張氏(ちょうし)が皇后に立てられたが、曹芳は寵愛しなかった」ともある。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

曹芳が司馬師(しばし)のクーデターによって廃位される過程で、少しだけ名が出てくる(しかも王沈の『魏書』に)程度なので、よくわからない女性です。

上で挙げた張皇后が254年に廃位された後、ほどなく王夔(おうき)の娘の王氏が皇后に立てられています。このふたりの王氏は、初め同一人物だと思っていました。

でも、254年なら郭太后も健在(263年に崩御〈ほうぎょ〉)ですから。数年前に反対した王氏(王貴人)をここで認めるのは妙な感じがします。やはり同一人物ではないみたい。

彼女のほかにも、登場箇所は少ないのに姓が同じという女性は多いのでややこしいですね。

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