【姓名】 劉理(りゅうり) 【あざな】 奉孝(ほうこう)
【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん)
【生没】 ?~244年(?歳)
【吉川】 第239話で初登場。
【演義】 第077回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・劉理伝』あり。
蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の息子で劉禅(りゅうぜん)の異母弟、安平悼王(あんぺいとうおう)
父は劉備だが、母は不詳。異母兄に劉禅と劉永(りゅうえい)がおり、ほかに異母姉がふたりはいた。妻は馬超(ばちょう)の娘。
息子の劉胤(りゅういん)は跡継ぎ。劉輯(りゅうしゅう)も同じく息子。
劉理は、221年6月に梁王(りょうおう)に封ぜられた。223年4月に劉備が崩ずると、劉禅が帝位を継ぎ、230年には安平王に移封された。
244年4月に薨去(こうきょ)。悼王と諡(おくりな)され、息子の劉胤が跡を継いだ。
管理人「かぶらがわ」より
本伝によると、劉理は劉禅の異母弟で、劉永とも母を異にしていたということです。この三兄弟は、みな母が違っていたわけですね。
少し気になったのが、劉理の妻が馬超の娘だったということ。
劉理の息子として名が出てくるのは、劉胤と劉輯のふたり。このふたりの生母がはっきりしないものの、馬超の娘の可能性もありそう。となると、その容貌や武芸はどれほどのものだったのでしょうね?
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