【姓名】 王氏(おうし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 ?
【生没】 ?~270年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
呉(ご)の孫晧(そんこう)の側室(左夫人〈さふじん〉)
父母ともに不詳。
王氏は孫晧から寵愛されていたが、270年に亡くなった。
孫晧は悲しみと思慕の気持ちに耐えられず、朝夕に柩(ひつぎ)のそばで哭(こく。死者に対して大声を上げて泣く礼)し、数か月も人前に姿を見せなかった。
呉の人々は「孫晧が死んでしまったのだ」とか「章安侯(しょうあんこう)の孫奮(そんふん)か上虞侯(じょうぐこう)の孫奉(そんほう)が帝位に即くだろう」などとうわさした。
孫奮の母である仲氏(ちゅうし)の墓が豫章(よしょう)にあった。豫章太守(よしょうたいしゅ)の張俊(ちょうしゅん)は、うわさを信じて仲氏の墓を掃除させた。
この話を聞いた孫晧は激怒し、張俊を車裂きにしたうえ一族をも皆殺しにした。さらに孫奮と5人の息子たちを誅殺し、彼らの封国を廃した。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
もちろん王氏のせいではないのですが、結果的に彼女の死が、孫奮とその息子たちの死を招くことになってしまいましたね……。
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