【姓名】 孫乾(そんけん) 【あざな】 公祐(こうゆう)
【原籍】 北海郡(ほっかいぐん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 第044話で初登場。
【演義】 第012回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・孫乾伝』あり。
交渉能力に優れ、劉備(りゅうび)の使者として活躍
父母ともに不詳。
194年、孫乾は、死去した陶謙(とうけん)に代わって徐州刺史(じょしゅうしし)となった劉備に招聘(しょうへい)され、従事(じゅうじ)に任ぜられる。以後、劉備に付き従って各地を転々とした。
★本伝の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『鄭玄伝(ていげんでん。じょうげんでん)』によると、孫乾を州に推薦したのは鄭玄だったという。
199年、劉備は、下邳(かひ)で曹操(そうそう)に背いて独立し、袁紹(えんしょう)と手を結ぼうとしたが、このとき孫乾が使者を務めて話をまとめた。
また、201年に劉備が荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)を頼ろうとした際も、孫乾は麋竺(びじく)とともに使者を務め、劉表に話を通した。
214年、劉備が成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降した後、孫乾は秉忠将軍(へいちゅうしょうぐん)に任ぜられる。
劉備の孫乾への礼遇は麋竺に次ぐもので、簡雍(かんよう)と同等だったというが、それからしばらくして孫乾は死去(時期は不明)した。
管理人「かぶらがわ」より
本伝には記事が少なく、使者としての高い適性を備えていたことぐらいしかわかりませんでした。
こうした事情が、かえって『三国志演義』や吉川『三国志』における、魅力的な孫乾像を作り出す結果につながったのでしょう。
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