袁紹(えんしょう)を総大将に仰ぎ、曹操(そうそう)を参謀として、各地の諸侯からなる反董卓(とうたく)連合軍が結成され、その先鋒を任された孫堅(そんけん)が汜水関(しすいかん)に攻めかける。
まずは程普(ていふ)が胡軫(こしん)を討ち取るも、孫堅は関を守る華雄(かゆう)の反撃に遭い、ひとまず引いて袁紹の本営に兵糧を送るよう伝えた。ところが――。
第026話の展開とポイント
(01)洛陽(らくよう) 丞相府(じょうしょうふ)
早朝、李儒(りじゅ)が董卓を起こし、陳留(ちんりゅう)を中心として大規模な反乱が勃発したことを伝える。
李儒は、反乱軍が袁紹を総大将に仰ぎ、曹操を参謀とし、その先鋒として孫堅が汜水関近くまで攻め上がってきたことも伝える。
★ここで李儒が董卓に、孫堅が17歳の時に海賊の群れへ躍り入り、頭目を斬った話をしていた。この話は『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫堅伝)の冒頭に見える。
董卓は将軍の華雄に先鋒を命じ、5万の兵を与えて汜水関へ向かわせる。華雄の副将として李粛(りしゅく)・胡軫・趙岑(ちょうしん)の3名が選ばれた。
(02)反董卓連合軍 鮑信(ほうしん)の軍営
華雄の軍勢の南下を聞くと、鮑信は弟の鮑忠(ほうちゅう)を呼び、間道を迂回(うかい)して汜水関に奇襲をかけるよう持ちかける。鮑忠は鮑信と示し合わせ、夜のうちに500騎ばかりをひきい、道なき山を越えていった。
★『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第5回)では、このとき鮑忠は歩騎3千をひきいていた。
しかし、この動きはすぐに華雄の知るところとなり、深入りした鮑忠は500の騎兵とともに全滅。華雄は鮑忠を一刀の下に斬り落とし、その首を早馬で洛陽へ送った。董卓からは感状と剣ひと振りがただちに届けられた。
★井波『三国志演義(1)』(第5回)では戦勝の報告を受けた董卓が、華雄に都督(ととく)の官位を加えたとある。
(03)汜水関
孫堅が十分な備えをして汜水関の正面へ攻めかける。胡軫は華雄から5千の兵を分けられて関を下り、華雄自身も1万の兵をひきい、関の側面から出ていった。
関下の激戦の中、孫堅の旗本の程普が手にした槍(やり)を投げて胡軫を討ち取る。華雄はひとまず退いて関の諸門を閉じると、間近に攻め寄せた孫堅軍に石・大木・鉄弓・火弓などを雨のごとく浴びせかけた。
孫堅のほうにも多数の犠牲者が出たため、梁東(りょうとう)という部落の辺りまで退く。そして袁紹の本営に胡軫の首を届け、兵糧を送るよう伝える。
★ここでは「梁東という部落」とあったが、梁東は梁県以東の意。
(04)反董卓連合軍 袁紹の軍営
ところが袁紹は、孫堅に恨みを持つ者の讒言(ざんげん)に乗り、とうとう兵糧を送らなかった。
★井波『三国志演義(1)』(第5回)では「ある者」の進言に従い、孫堅に食糧と秣(まぐさ)を届けなかったのは袁術(えんじゅつ)。
管理人「かぶらがわ」より
汜水関を巡る戦いが始まりました。鮑忠はいきなりコケてしまいましたが、孫堅は華雄と激戦を繰り広げます。ここまで1勝1敗というところですね。
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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