吉川『三国志』の考察 第142話「母子草(ははこぐさ)」

劉琮(りゅうそう)とその母の蔡氏(さいし)を始末させ、名実ともに荊州(けいしゅう)を手中にした曹操(そうそう)。

しばらくは事後処理に追われていたが、あるとき荀攸(じゅんゆう)から、先に逃走した劉備(りゅうび)が江陵(こうりょう)を目指していることを聞くと、急いで追撃命令を下す。

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第142話の展開とポイント

(01)襄陽(じょうよう)

于禁(うきん)は4日目に帰ってきて、劉琮と蔡夫人の首を献ずる。曹操はホッとした態を見せ、ひと言「よし」といったきりだった。

また、曹操は隆中(りゅうちゅう)へ多くの武士を遣り、諸葛亮(しょかつりょう)の妻や弟などの身寄りを詮議させていたが、その行方はどうしても知れない。

すでに諸葛亮はこのことあるを知り、家族を三江(さんこう)の彼方(かなた)へとくらましていた。隆中の里人もみな彼の徳に懐いていたので、曹操の捕り手に何の手がかりも与えなかった。

こうしたことに暇取っている一方、曹操は毎日、荊州の治安や旧臣の処置、賞罰や新令発布のことなど、限りない政務に忙殺されていた。

ある折、荀攸はわざとその繁忙を妨げ、茶を献ずる。そして、劉備らがここを逃げ去って10日余りになると言い、彼らが江陵の要害に籠もり、その地の金銀兵糧を手に入れたらどうされるのかと注意を促す。

すると曹操は急に、軍馬を用意して追撃するよう言う。そこで諸将が内庭に集められたが、荊州の旧臣中では文聘(ぶんぺい)の姿だけ見えない。曹操が呼びに遣ると、ようやく後から来て列将の端に立った。

文聘は譴責(けんせき)に答えて言う。

「理由はありません。ただ恥ずかしいのです……」

曹操は彼の思いを聴くと感動。即座に官職を引き上げて江夏太守(こうかたいしゅ)とし、関内侯(かんだいこう)に封じた。さらに劉備追撃の道案内を命じ、以下の大将に鉄騎(精鋭の騎兵)5千を授けて急き立てる。

(02)江陵へ向かう劉備

劉備は数万の窮民を連れ歩きながら、手勢はわずか2千騎に足らなかった。千里の野を蟻(アリ)の列が行くような旅で、道のはかどらないことはおびただしい。

劉備に同行した兵士と民の数については、前の第141話(06)を参照。なお『三国志演義(3)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第41回)では、劉備が十数万の避難民と3千余りの軍馬をひきいていたとある。

先に江夏の劉琦(りゅうき)へ援軍を頼みに行った関羽(かんう)からも、あれきり沙汰がなかった。

そこで劉備は、諸葛亮にも様子を見に行くよう頼む。諸葛亮は承知して江夏へ急いだ。

それから2日目の昼、劉備がふと一陣の狂風に野を振り返ると、塵埃(じんあい)天日を覆い、異様な声が地殻の底に鳴るような気がする。

井波『三国志演義(3)』(第41回)では、諸葛亮が江夏へ向かったその日に突風が吹き、濛々(もうもう)たる土煙を上空まで噴き上げ、太陽を陰らせたとあった。

劉備がいぶかると、駒を並べていた糜竺(びじく。麋竺)・糜芳(びほう。麋芳)・簡雍(かんよう)らは、「これは大凶の知らせです。馬の鳴き声も常とは違う」とつぶやき、恐れ震えた。

百姓どもの群れを捨て先へお急ぎになるようにと、みな口をそろえて勧めたが、劉備は耳にも入れない。左右の者に辺りの地理を尋ねると、当陽県(とうようけん)の水を望む景山(けいざん)まで行くことにする。

婦女老幼の群れには趙雲(ちょううん)を守りに付け、殿軍(しんがり)には張飛(ちょうひ)を備え、自身はさらに先へと落ち延びていく。

その日の真夜中、不意に人の泣き叫ぶ声が広野の闇をあまねく揺るがす。劉備は跳ね起きると左右の兵を一手にまとめ、命を捨てて包囲を突き破った。

(03)長坂坡(ちょうはんは)

劉備が長坂坡のほとりに至ると、荊州の旧臣の文聘が道を阻める。劉備は彼が義を知る大将だとわかっていたため、その態度を罵ってみた。文聘は答えず、面を赤らめながら遠く駆け去る。

続いて許褚(きょちょ)が迫ってきたが、このときには張飛が後から追いついていた。張飛は辛くも許褚を追い、一方の血路を切り開いて劉備を先へ逃がし、自分は後に残り奮戦する。

やがて逃げ疲れた劉備は馬から滑り下りた。見回せば付き従う者は100余騎しかいない。妻子や一族の老少をはじめ、糜竺・糜芳・趙雲・簡雍らとはことごとく散りぢりになっていた。

ここへ満身朱(あけ)にまみれた糜芳が追いつき、趙雲が心変わりをして曹操の軍門に下ったと訴える。劉備は信じなかったが、ほかの者からも、趙雲がまっしぐらに曹操軍のほうへ行くのを見た、という声が上がった。

殿軍を果たして追いついた張飛も、糜芳の言葉を支持。劉備の制止を聞かずに20騎ばかりの部下を引き連れ、再び後へ駆け出していった。

(04)長坂橋

張飛は長坂の橋東の岸に密林があるのを見ると、部下に何かささやき20騎を隠す。部下たちは彼の策に従い、おのおの馬の尾に木の枝を結いつけ、林の中を往来した。

ほくそ笑んだ張飛は、ただひとり長坂橋の上に馬を立てる。そして大矛を小脇に横たえ、西のほうを望んでいた。

(05)当陽

そのころ趙雲は、前夜の合戦とその後の壊走中に見失ってしまった、幼主の阿斗(あと)や(劉備の)二夫人の行方を捜し回っていた。

趙雲は、倒れていた簡雍を助け起こすと駒の背に搔(か)い上げ、部下を付けて先へ送らせる。さらに自身は長坂坡のほうへと馬を飛ばした。

途中、趙雲は二夫人の車を押す役目の歩卒に呼び止められる。二夫人は百姓の群れに混じって南へ逃げたのだという。

趙雲が百姓の群れを見るたびに声をからしていると、馬蹄(ばてい)の前に甘夫人(かんふじん)が転(まろ)び伏す。聞くと、初めは阿斗や糜夫人(麋夫人)と一緒に逃げ延びたが、一手の敵兵に駆け散らされてはぐれたのだという。

管理人「かぶらがわ」より

曹操の追撃命令が下るや、あっと言う間に追いつかれる劉備。彼の妻たちは大変で、西へ東へと逃げ回ってばかり。呂布(りょふ)の妻も大変そうでしたが、それ以上なのは確か。曹操や孫権(そんけん)の妻たちは、こういう目には遭っていませんから……。

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