みたび捕らえられ、みたび諸葛亮(しょかつりょう)に放された孟獲(もうかく)。さすがに懲りて蛮界の中心まで引くと、各地の洞長に呼びかけ、入念な反撃の準備を整える。
しかし、西洱河(せいじが)両岸における戦いで諸葛亮の計略にはまり、よたび捕らえられ、よたび解放されてしまう。
第269話の展開とポイント
(01)その後の孟獲
蛮界幾千里、広さの果ても知れない。蜀(しょく)の大軍は瀘水(ろすい)も後ろにして、さらに前進を続けていたが、幾十日も敵影を見なかった。
孟獲は深く懲りたとみえる。蛮国の中心へ遠く退き、入念に再起を図っていた。そこから蛮邦八境九十三甸(でん)の各洞長に向かって檄(げき)を飛ばす。使いを遣って金銀や栄位を贈り、協力して蜀軍を撃退しようと呼びかけた。
★『三国志演義大事典』(沈伯俊〈しんはくしゅん〉、譚良嘯〈たんりょうしょう〉著 立間祥介〈たつま・しょうすけ〉、岡崎由美〈おかざき・ゆみ〉、土屋文子〈つちや・ふみこ〉訳 潮出版社)によると、「八番九十三甸は地域名。八番とは本来、元代(げんだい)に貴州省(きしゅうしょう)恵水県(けいすいけん)一帯に居住していた少数民族の総称」だという。
また「甸とは、元代、雲南(うんなん)における一部の県もしくは県以下の規模の地区に対する呼称。『三国志演義』ではいずれも、蜀南部の各種少数民族の居住地を広く指す言葉として使われている」という。なお吉川『三国志』では、この八番九十三甸を八境九十三甸としていた。
この飛檄は成功した。諸洞の蛮王の中には芳醇(ほうじゅん)な酒に飽き、熟れたる果実や獣肉にも飽き、あまりに事なき暮らしに体を持て余している連中もある。
孟獲の上げた狼煙(のろし)により、彼らは久しぶりに大きな刺激を得、諸邦から軍勢を引き連れて続々と糾合に応じ、たちまち雲霞(うんか)のごとき大軍団を成した。
すっかり孟獲は喜悦し、諸葛亮がどこに陣しているかを探らせる。やがて偵察から戻った手下が報告した。
「西洱河に竹の浮き橋を架け、南岸にも北岸にも布陣している塩梅(あんばい)です。北岸には河を濠(ほり)として、城壁まで築いているようで……」
(02)西洱河の南
孟獲は軍勢を進め、西洱河の南をうかがう。彼は赤毛の南蛮牛の背にまたがり、緬甸金襴(ビルマきんらん。ビルマで作られた、金の糸を模様に織り込んだ美しい織物)を敷き、花梨鞍(カリンぐら)を据えている。
身には犀(サイ)の革の鎧(よろい)を着、左手に盾を持ち、右手に長剣を握っていた。まさに威風凜々(りんりん)である。
たまたま南岸の各部隊を、四輪車に乗って巡閲していた諸葛亮は、孟獲が大軍をひきいて近づいてくると聞くと、急に道を返して本陣へ帰ろうとした。
これを嗅ぎつけた孟獲は間道を通り、突如間近へ追撃する。危うい一歩で、諸葛亮の四輪車は陣門の内へ走り込み、後は厳しく閉め、あえて戦わなかった。
(03)西洱河の南 諸葛亮の本営
蛮軍は見くびってきた。前々から、蜀軍の大半はすでに疲れていると聞かされていたのでなおさらである。
日が重なると、赤裸になって陣門の近くに群れ、尻振り踊りをしたり、目をむいてあかんべえをしたりして、蜀兵を憤らせた。蜀の諸将は歯がみして出撃を願ったが、諸葛亮は許さない。
「王化に服した後は、あの踊りも、むしろ愛すべきものになろう。まあしばらく虫を抑えていよ」
敵の驕慢(きょうまん)はいよいよ募っていく。もとより軍律のない仲間なので、その狂態はあきれるばかり。
諸葛亮は一日、高所から見物して、「もうよいな」と帷幕(いばく。作戦計画を立てる場所、軍営の中枢部)の人々に言った。腹中の計はできている。
趙雲(ちょううん)・魏延(ぎえん)・王平(おうへい)・馬忠(ばちゅう)などへ何事かささやいて秘を授け、馬岱(ばたい)と張翼(ちょうよく)も呼び、「怠るな、おのおの」と言い残して去る。
すなわち諸葛亮は四輪車に乗り、関索(かんさく)を連れて竹の浮き橋を渡ると、西洱河の北へ移ってしまったのであった。
(04)西洱河の南 諸葛亮のもとの本営
南蛮勢は毎日のように、陣門の外まで寄せてくる。だが、蜀陣の内はヒソとしていた。旗風ばかりが翻り、武者声もしなければ、ひと筋の矢も射てこない。
孟獲は戒めていたが、あまりに変化がない。ある朝、思い切って一門を突破し、ドッと陣中へ駆け込んでみる。
すると、数百輛(りょう)の車には兵糧を積んだまま捨ててあるし、武具や馬具なども取り散らし、寝た跡や食べた跡も狼藉(ろうぜき)にほったらかしてあるだけ。広い陣中のどこを眺めても、馬一頭、人ひとり見当たらなかった。
弟の孟優(もうゆう)は怪しむが、孟獲はあざ笑って言う。
「この様子では、よほどあわてて去ったようだ。これほど堅固な陣屋を捨て、あの孔明(こうめい。諸葛亮のあざな)が一夜に退いたところを見ると、何か本国に急変が起こったに違いあるまい」
「察するに、蜀の本国へ呉(ご)が攻め入ったか、魏(ぎ)が攻め込んだか、このふたつのうちのひとつだろう。そうだ。追いかけて一騎も余さず討ち取ってしまえ」
孟獲は水牛の鞍上(あんじょう)から号令し、にわかに全軍をして、西洱河の南岸まで追いかけさせる。
(05)西洱河の南岸
ところがここへ来て北岸を見ると、あたかも長城のごとき城壁ができていた。櫓(やぐら)の数だけでも数十か所。ことごとく旗を並べて槍戟(そうげき)を輝かせ、近寄ることもできない。
しかし、孟獲は孟優にこう語った。
「驚くにはあたらない。あれも孔明の擬勢だ。ああしておいては、北へ北へと退却していく計略と思われる。見ておれ弟。2、3日するとまた、あそこも旗だけ残して、蜀の奴はひとりもいなくなるから」
孟獲は手下の勢に竹を切らせ、竹筏(たけいかだ)を作るよう言いつける。数千の蛮兵が大竹を切り、筏を組みだした。その間に朝夕対岸を注意していると、蜀軍の数が目に見えて減っていく。4日目ごろには一兵もいなくなった。
孟獲は、自分の活眼を左右の洞将にも誇り、さっそく河を渡ろうとする。だが、その日は狂風が吹き募って、石を飛ばすばかりだったので、しばし天候を見ようと、人馬を岸から退げていた。
それでも風がやまないため、孟優の進言に従い、先に蜀から奪った空陣屋まで全軍を後退させる。
(06)西洱河の南 諸葛亮のもとの本営
宵になると、いよいよ狂風は勢いを加え、夜空には砂が舞う。兵も馬もみな目をふさいで四方の陣門から入り、さしも広い営内も真っ黒に埋まるほどだった。
やがて眠ろうとするころ、風音ならぬ金鼓の音が四方に響く。すわと人馬が営内で騒ぎだしたときは、四面ともに炎の壁や炎の屋根となっていた。
蛮軍は踏み殺され、焼き殺され、阿鼻叫喚が現出。孟獲は一族の少数の者に囲まれて、危うくも一方の口から猛火を逃れた。
(07)敗走中の孟獲
しかし外へ出るやいな、趙雲に追いかけられる。西洱河に残した諸洞の軍勢の中へ逃げ込もうとすると、その味方もほとんど蹴散らされ、後には蜀の馬岱軍が入れ替わっていた。
肝をつぶして引き返そうとすると、すでに退路も蜀兵の影に占められている。孟獲は山へ逃げ、谷へ隠れ、ひと晩じゅう逃げ回った。しかも道のあるところ必ず蜀軍の金鼓が響き、槍戟が殺出した。
わずか十数人の部下とともに、孟獲はへとへとになって、西方の山の腰へ下りてきた。夜が明けている。見ると彼方(かなた)にひと叢(むら)の椰子林(ヤシりん)があった。一隊の兵と数旒(すうりゅう)の旗が、一輛の四輪車を押し出してくる。
孟獲は悪夢の中でうなされたように、アッと叫んで引き返しかけた。
四輪車の上の諸葛亮は、綸巾(かんきん。隠者がかぶる青糸で作った頭巾。俗に「りんきん」と読む)を頂き鶴氅(かくしょう。鶴の羽で作った上衣)を着て、服装も常と変わらず、手に白羽扇を動かしていた。
孟獲が仰天して逃げかけるや、諸葛亮は大いに笑って呼びかける。
「なぜ逃げる孟獲。汝(なんじ)はいつも捕らわるるたびに言うではないか。武勇なれば負けはしないと。いま後ろを見せるほどでは、尋常に戦っても、この孔明に勝てる自信はないと見えるな」
すると、孟獲は憤然と踵(くびす。きびす)を返し、十数人の猛者を叱咤(しった)して挑みかかった。
蜀兵は四輪車を押して逃げ出す。追うも速し、逃げるも速かったが、その距離が詰まる間もあらばこそ、孟獲や孟優らの一団は、天地も崩れるような土煙とともに、一度に落とし穴へ落ちてしまった。
この音響を合図として、魏延の手勢数百騎が木の間から駆け現れる。穴の下からひとりずつ引き出し、手際よく数珠つなぎにした。
★ここで孟獲四擒(しきん)。
(08)諸葛亮の本営
諸葛亮はまず孟優を引き据えて、もの柔らかに諭すと、酒を飲ませたうえで縄を解き、部下とともに放してやる。
次に孟獲を面前に引かせたが、これに向かっては、かつてない大喝をもって叱りつけた。
「匹夫。何の面目あって、再び孔明の前にのめのめ縄に掛かって来たかっ!」
なおも極度に罵る。
「中国では、恩を知らぬ者を人非人と言い、廉恥のない者を恥知らずとも犬畜生とも言って、鳥獣より卑しむが、汝はまさに、その鳥獣にも劣るものだ。それでも南蛮の王者か? はてさて珍しい動物である」
孟獲もこの日に限って何も吠え猛(たけ)らず、さすがに恥を知るか、瞑目(めいもく)したまま、ただ白い牙を出して唇をかんでいた。
諸葛亮は、陣後へ引き出して首を打てと命ずる。孟獲は、なかなか泰然自若と刑の莚(むしろ)へ座ったが、武士を顧みて、もう一度ここへ孔明を呼んでくれと言う。
だが、武士たちが承知する気色もないと見るや、突然、大声で吠えた。
「孔明、孔明。もしもう一度、俺の縄を解いてくれれば、きっと五度目に四度目の恥をすすいでみせる。死んでもいいが、恥知らずと言われては死にきれない。やいっ、やいっ孔明。もう一遍戦えっ!」
諸葛亮はやってきて降伏を勧める。
やにわに頭(かぶり)を振った孟獲は、泣かんばかりな目をしながらも、口に火を吐くごとく罵った。
「降参はしないっ。死んでも降伏などするか。俺は偽りに負けたのだ! やいっ、詐術師。尋常にもう一度、俺と戦え!」
諸葛亮はこう言ってニコと笑い、房中へ姿を隠す。
「よろしい。それほどに言うならば……。武士たち、縄を解いて帰してやれ」
★ここで孟獲四放。
管理人「かぶらがわ」より
これで孟獲、四擒四放。こう見てくると、孟獲のほうがかわいそうになり、諸葛亮のほうが嫌な奴に見えてきますね。
コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます