吉川『三国志』の考察 第029話 「洛陽落日賦(らくようらくじつふ)」

徐々に形勢を盛り返す反董卓(とうたく)連合軍に対し、董卓は敵方の孫堅(そんけん)を抱き込むつもりで密使を遣るが、あっさりと断られてしまう。

そこで李儒(りじゅ)の進言を容れ長安(ちょうあん)への遷都を強行するも、洛陽を引き払う際に火を放つよう命ずる。

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第029話の展開とポイント

(01)反董卓(とうたく)連合軍 袁紹(えんしょう)の本営

虎牢関(ころうかん)外における味方の大勝に、曹操(そうそう)ら18か国の諸侯は本営に雲集し喜びをどよめかせていた。凱歌とともに杯(さかずき)を上げ、みなひとまず自分の軍営へ戻っていく。

そこで袁術(えんじゅつ)を呼び止めた者がある。長沙太守(ちょうさたいしゅ)の孫堅(そんけん)だった。孫堅は剣の柄に手をかけ、先ごろの汜水関(しすいかん)攻めの際に、なぜ故意に兵糧の輸送を止めたのかと詰問する。

孫堅が兵糧を止められて惨敗を喫したことについては、先の第26話(03)を参照。ただ、これに続く第26話(04)では、讒言(ざんげん)によって孫堅に兵糧を送らなかったのが袁紹のように描かれており、袁術の責任であることがわかりにくい。

それでも先の第25話(03)では、袁紹が袁術に兵糧の奉行(ぶぎょう)を命じていたことから、讒言を受けた袁紹が、孫堅に兵糧を送らないよう袁術に伝えさせた、という解釈は可能かと思う(だいぶ苦しいが……)。

ここで(袁術に)兵糧止めを進言した部将が登場していた。やはり、先の話とのつながりがいくらかわかりにくいと思う。

(02)反董卓連合軍 孫堅の軍営

孫堅が眠りかけたころ、董卓の密使が面会を求めているとの知らせが届く。

孫堅が密使としてやってきた李傕(りかく)らに会ってみると、董卓が好誼(よしみ)を結びたがっているという。息子を董卓の娘婿として迎えたいとも言われるが、孫堅は一喝し追い返した。

(03)洛陽(らくよう) 丞相府(じょうしょうふ)

董卓は孫堅の返答を聞き、今後の策を李儒(りじゅ)に諮る。ここで李儒は長安(ちょうあん)への遷都を勧めた。

ここでは、董卓の密使の李傕らが「ほうほうの態で洛陽へ逃げ帰った」とあったが、いつ董卓が虎牢関から洛陽へ戻っていたのかわからなかった。

なお『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第6回)では、孫堅に追い返された李傕が虎牢関へ戻り、董卓に子細を報告。その後、李儒が董卓に遷都を勧めると、このことを協議するためその夜のうちに洛陽へ戻ったとあった。

(04)洛陽 宮殿

董卓は李儒の意見を容れると、たちまち遷都の件を朝議にかけ、独裁的に百官へ言い渡す。

献帝(けんてい)や百官は一様に驚く。司徒(しと)の楊彪(ようひょう)と太尉(たいい)の黄琬(こうえん)、そして荀爽(じゅんそう)が反対する意見を述べたが、董卓は3人の官爵を剝奪するよう言い捨て、ひとまず私邸に引き揚げた。

ここでは荀爽だけ官職の記述がなかったが、先の第21話(06)を見ると司空(しくう)という設定か? 井波『三国志演義(1)』(第6回)では、なぜか楊彪だけでなく荀爽も司徒ということになっている。これも司空の誤りだろう。

(05)洛陽 丞相府

翌日、董卓は李儒を呼び、遷都の発令が済んだことを確認すると、彼に一任して軍費の徴発を命ずる。

李儒は5千人を市中に放ち、遷都と軍事の御用金を命ずると称し、洛中のめぼしい富豪の屋敷を片っ端から襲撃させた。こうして金銀財宝を山のごとく集め、それらを駄馬や車に積んでは次々と長安へ向けて運ばせた。

遷都の発令の翌日、御林軍(ぎょりんぐん。近衛軍)の将校たちは流民が他国へ移ることを防ぐため、兵力を使って強制的に1か所にまとめ、百姓の家族たちを5千、7千と一団にして長安へ送り出した。

この日、董卓も私邸や官邸を引き払い、私蔵の財物を80輛(りょう)の馬車に積み洛陽を離れようとしていた。出発にあたり李粛(りしゅく)に、今朝の寅(とら)の刻(午前4時ごろ)を限って洛陽全域に火を放つよう命じた。

董卓は洛陽が大炎上する様子を後に出発。彼の一族に続き、献帝や皇妃(こうひ)、帝族らの車駕(しゃが。〈本来は〉天子〈てんし〉の乗る車の意)が泣くがごとく列を乱して炎の中から逃れてきた。

(06)洛陽の郊外

このころ呂布は董卓の密命を受け、1万余の百姓や人夫と数千の兵士を動員し、前日より代々の皇帝(こうてい)の墳墓から后妃や諸大臣の塚までを残らず掘り発(あば)いていた。

こうして得た珍宝や珠玉は車で数千輛分にもなり、呂布は兵を付けて続々と長安へ送らせ、まだ虎牢関に残っていた味方の殿軍(しんがり)に使いを遣り、関を放棄して長安まで退くよう命じた。

殿軍を務めていた趙岑(ちょうしん)は、長安まで退けとの命令を怪しみながらも関を捨て全軍で長安へ向かう。趙岑らが通ったときには、すでに洛陽は炎々たる火と煙のみになっていて人影もなかった。

このあたりはややわかりにくかったが、趙岑が残っていたのは虎牢関ではなく汜水関のほうである。先の第26話(01)を参照。

(07)汜水関および虎牢関

反董卓連合軍に董卓が遷都したとの知らせがもたらされると、諸侯はわれがちに軍勢を動かす。汜水関へは孫堅が一番に駆け入り、虎牢関へは劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)の義兄弟が一番乗りを果たした。

(08)洛陽

反董卓連合軍は前後して洛中へあふれ入った。孫堅はいち早く市中の巡回を開始し、将兵に命じて各所の消火にあたらせる。

諸侯がそれぞれ軍営を置くと曹操は袁紹に会い、長安へ落ちていった董卓軍を追撃すべきだと主張。だが袁紹は、ここで2、3日は兵馬を休ませると言う。曹操は袁紹を罵ると、1万余騎の手勢をひきいて単独で追撃にかかった。

(09)滎陽(けいよう)

董卓が滎陽まで来てひと息ついていたところ、曹操軍が追撃してくるとの知らせが届く。董卓は李儒の意見を容れ、滎陽城の後ろの山谷に伏兵を置くよう命ずると、自身は先を急いだ。

後から滎陽を通った呂布はここで李儒から謀計を聞き、自分も山に隠れる。そこへ曹操軍が殺到。瞬く間に滎陽城を突破し、逃げる董卓軍を追い山谷へと入っていく。

ここで、突如として四方の谷間や断崖(だんがい)から鬨(とき)の声が起こる。曹操が伏兵に気づいたころには、その手勢1万余はまったく袋の鼠(ネズミ)になっていた。曹操軍はせん滅的に打ちのめされ大敗を喫した。

管理人「かぶらがわ」より

長安への遷都を強行する董卓。焼き尽くされた洛陽に留まろうとする袁紹を罵り、自分の手勢だけで董卓を追撃した曹操。汜水関や虎牢関を確保しても、もうあまり意味がなかったというわけですね。それにしても、袁紹ら諸侯は状況判断が悪すぎました。
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