吉川『三国志』の考察 第030話「生死一川(せいしいっせん)」

曹操(そうそう)は反董卓(とうたく)連合軍の諸侯と分かれ、洛陽(らくよう)を放棄した董卓を自分の手勢だけで追いかける。

すぐさま滎陽城(けいようじょう)を陥して進撃のペースを速めるが、この裏には董卓配下の李儒(りじゅ)の計があった。

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第030話の展開とポイント

(01)滎陽(けいよう)

瞬く間に滎陽城を抜いた曹操(そうそう)だったが、これは董卓(とうたく)配下の李儒(りじゅ)の計だった。曹操は後方の山谷に誘い込まれて呂布(りょふ)や李傕(りかく)の伏兵に包囲され、今やまったく危地に陥っていた。

そこへ曹操配下の夏侯淵(かこうえん)の部隊が一方の血路を切り開いて駆けつける。夏侯淵は一角から猛兵を突入させ、李傕を追い曹操を助け出した。

曹操は夏侯淵と別れて滎陽のふもとへと逃げたが、そのうち滎陽太守(けいようたいしゅ)の徐栄(じょえい)の新手が現れる。

徐栄は逃げていく曹操を見つけ一矢を放ち、その矢が肩に立つ。落馬した曹操は、木陰に潜んでいた徐栄配下の兵士をふたり斬ったところで力尽きた。

このとき曹操の弟の曹洪(そうこう)は乱軍の中から落ち、ひとり近くをさまよっていた。異なる馬の鳴き声を聞き駆けつけてみると、今しも曹操が雑兵らに高手小手(両手を後ろに回して、二の腕〈高手〉から手首まで厳重に縛ること)に縛られようとしている。

曹洪はひとりを後ろから斬り伏せ、もうひとりを薙(な)ぎつけた。驚いて逃げる者は追わず、すぐに曹操を抱き上げる。曹操は矢傷を負い、馬に踏まれた胸も苦しいと言い、自分を打ち捨て早く落ちていくよう促す。

しかし曹洪は、「いま天下の大乱。この曹洪などはなくとも、曹操はなくてはなりません」と励まし、曹操の鎧甲(よろいかぶと)を解いて身軽にさせる。そして曹操の身を自分の小脇(こわき)に抱え、敵が捨てたらしい馬の背にしがみついた。

やがて行く手に満々たる大河が現れる。曹洪は馬を下りると、自害するという曹操を叱咤し、運を天に任せて大河を越えようと決意。身に着けている重い物をすべて捨て、一剣を口にくわえたうえで曹操をしっかりと肩にかけ、濁流の中へ泳ぎだす。

河畔からやや離れた丘には徐栄配下の一部隊が小さな陣地を築いており、歩哨(ほしょう)が河を泳いでいるふたりを見つける。

報告を受けた部将は、曹操軍の落ち武者と見て弩弓手(どきゅうしゅ)に射させたが、それが曹操兄弟だとは気づかなかった。

何とかふたりは対岸まで泳ぎ着いたものの、遥か河上から徐栄配下の精鋭部隊が河に沿い下ってくるのが見えた。ついに曹洪も覚悟を決め、曹操とともに剣を振りかざし敵中へ斬り込む。

すると、彼方から10騎ほどの武士が駆けつけてきた。夕べから曹操の行方を捜していた夏侯惇(かこうじゅん)と夏侯淵たちだった。

『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第6回)では、ここで夏侯惇が徐栄を刺し馬から落としたとある。

夏侯惇は、曹操と曹洪に馬を勧めると一斉に逃げだす。その先で曹仁(そうじん)・李典(りてん)・楽進(がくしん)ら500の兵馬とも合流し、ひとまず曹操は河内郡(かだいぐん)へ落ち延びることにした。

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管理人「かぶらがわ」より

滎陽一帯で董卓軍に大敗を喫し、1万余騎の手勢がわずか500騎にまで減らされてしまった曹操。ですが彼は、この敗戦から大きな訓(おし)えを得たとも考えます。

この第30話は曹操の危機一髪の脱出劇を描いたものでしたが、吉川先生の描写が特に素晴らしかったと感じました。展開やポイントをまとめるにあたっても、あまり削れるところがなかったですね。

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