吉川『三国志』の考察 第098話「恋の曹操(こいのそうそう)」

劉備(りゅうび)から小沛(しょうはい)と徐州(じょしゅう)の両城を奪った曹操(そうそう)は、残る下邳(かひ)に目を転ずる。

この城を守っているのは関羽(かんう)だったが、ここで曹操は、何とかして彼を配下に加えたいとの意向を漏らす。

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第098話の展開とポイント

(01)徐州

小沛と徐州の両城を一戦の間に占領した曹操の勢いは、旭日(きょくじつ)のごときものがあった。

徐州は劉備配下の簡雍(かんよう)と糜竺(びじく。麋竺)のふたりが守っていたが、城を捨ててどこかに落ち去り、残った陳珪(ちんけい)と陳登(ちんとう)の父子が内から城門を開いて曹操軍を迎え入れた。

曹操は陳父子の罪をとがめない代わりに、領内の百姓を宣撫(せんぶ)するよう命ずる。ふたりは慴伏(しょうふく。恐れてひれ伏すこと)して寛仁を仰ぐと、その日から城内の民の鎮撫に力を注ぎ、治安の実績を表した。

続いて曹操は下邳に目を向け、事情に明るい陳登に内情を尋ねる。

話を聴いた曹操は、呂布(りょふ)を攻めたときと違い、今回は長引かせてはならないと言う。すでに大軍を北へ動かしている袁紹(えんしょう)を見据えてのことだった。

曹操が、急に下邳を陥す名案はないか尋ねると、荀彧(じゅんいく)はしばらく考え、策の妙諦は、ただいかにして関羽を城外へおびき出すかにある、と答える。

『三国志演義(2)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第25回)では、ここで策を献じたのは程昱(ていいく)。

さらに、押し詰めてわざと緩み、敵を驕(おご)らせ味方は壊走してみせる。その間に密かに大軍を回して中道を遮断すれば、関羽は十方に道を失い、孤旗を支えて悲戦の下に立つしかないとも言う。

曹操はこの策を容れ、あらまし用兵の方向を定めると、何とかして関羽を麾下(きか)に加えたいとの意向を皆に告げる。

難しい注文だと諸将が顔を見合わせていると、郭嘉(かくか)が進み出て、難しさを正直に指摘した。

すると今度は張遼(ちょうりょう)が右列から進み出て、自分が関羽を説き、味方に降らせると言う。

程昱・郭嘉・荀彧らは半ば疑い、「きみはその自信があるのか?」と口をそろえて反問したが、張遼はひるむことなく自信があると答える。

張遼は関羽の勇よりも、彼が人一倍、忠節と信義に厚い点を心配していると言う。ただ、彼とは形の交わりこそないものの、常に戦場の好敵手として相見るたび、心契の誼(よしみ)に似たものを感じ合っているとも告げた。

曹操は任せようとしたが、なお程昱や郭嘉らは賛成しない。もし勧降の使いを向けて効果がなければ、敵の決意を強固にさせるだけで、速戦即決の方針にはむしろ害を生ずる可能性が高いのではないか、と。

それでも張遼は相当の自信を示し、陣中にいる徐州の捕虜を使い、関羽を城外におびき出してみせると言う。曹操は敵土埋兵の妙手を聞くと、やはり張遼に任せることにした。

(02)下邳

ある夜、曹操の捕虜となっていた徐州の兵士200余人が利を諭され、陣地より壊乱して走りだす。彼らは夜明けから朝にかけ下邳城へ紛れ込んだ。正真正銘の味方に違いないので、関羽以下、何の疑いも抱かない。

井波『三国志演義(2)』(第25回)では、このとき曹操が下邳へ送り込んだ徐州の降卒は数十人。

そのうち城内には、徐州を陥した曹操と中軍は勝ち誇って留まっており、下邳へ追撃してきたのは夏侯惇(かこうじゅん)と夏侯淵(かこうえん)の部隊にすぎない。

それも長途の急行軍で疲れ抜いているので、城を出て逆寄せを食わせれば、平野で捕捉して間違いなく殲滅(せんめつ)できる、との声が撒(ま)き散らされた。

雑兵たちの言葉なので関羽もすぐには受け取らなかったが、次々と戻ってきた物見の報告でも、敵は存外に少数だという。ついに関羽は城門を開かせ、一軍をひきいて出撃した。

(03)下邳の城外

夏侯惇が舌を振るって悪罵すると、ひと声吼(ほ)えた関羽が躍りかかる。計る気の夏侯惇は、善戦しながら逃げては奔り、返しては罵り散らす。関羽も大いに怒り、3千の兵を叱咤(しった)し20里ばかり追いかけた。

だが、その獅子奮迅(ししふんじん)ぶりに味方は続ききれない。関羽は深入りに気づいて引き返そうとしたが、左からは徐晃(じょこう)が、右からは許褚(きょちょ)が、それぞれ伏兵を起こして退路をふさぐ。

100張の弩(ど)から矢が放たれると、さすがの関羽も通り抜けることができなかった。

ここで「100張の弩」という表現が出てきた。弓はともかく、弩の数え方にはわからないところがあったが、吉川『三国志』では弓と同様に「張」で数えている。

関羽は曹操の大軍に完封され、日が暮れたころには低い小山に逃げ上がっていた。

夜になると、下邳のほうで炎々たる猛火が空を焦がし始める。この様子を見た関羽は計られたことを悟り、夜明けとともに最後の働きを見せて討ち死にする決心を固めた。

翌朝ふもとをうかがうと、無数の陣地を連ねた大軍が物々しく包囲している。思わず苦笑する関羽。

山上の一石に腰を据え、身支度を整えてやおら立ちかけたところ、ふもとから張遼が馬で登ってくるのが見えた。やってきた張遼は石を指し、関羽に腰を下ろすよう言うと、自分も腰を下ろしてゆったり構える。

そして、劉備と張飛(ちょうひ)は敗れ去って行方知れずであること。下邳城の奥にいた劉備の妻子についても、その生殺与奪はまったく曹操の手にあることを話す。

無念さに涙を見せる関羽。

しかし張遼は、下邳に入城した曹操が第一に劉備の家族を別の閣へ移したと言い、その門外に番兵を立たせて厳しく保護していることも話し、関羽を安心させようとする。

それでも関羽が討ち死にする決意を変えないため、わざと張遼は彼の態度をあざ笑う。さらに、ここで討ち死にすれば、後で3つの罪が数えられると言った。

1つ目は、もし劉備が生きていた場合、孤主に背き「桃園の誓い」を破ることになる。

2つ目は、主君から妻子一族を託されながらその先途も見届けず、ひとり勇潔に逸(はや)るなら、短慮や不信だと言われても仕方がない。

3つ目は、天子(てんし。献帝〈けんてい〉)を思い奉り、天下の将来を憂えぬこと。一身の処決を急いでみだりに血気の勇を示そうとするのは、真の忠節とは言えない。

関羽は、張遼の真情がこもった、また道理が尽くされた言葉を聴き好意を謝す。ここで考えを改め、一時、曹操に降伏の礼を執ることに同意した。

ただし、降伏に際しては3つの条件を願い出る。

1つ目は、たとえ剣甲を解いてこの山を下るとしても、断じて曹操に降伏するわけではないこと。つまり漢朝(かんちょう)には降伏するが、曹操には降らないこと。

2つ目は、劉備の二夫人と子どもたち、そのほか奴婢(ぬひ)らに至るまで、必ず生命と生活の安全を確約すること。加えて、これが丁重なる礼と俸禄とをもって行われること。

3つ目は、劉備の消息がわかった場合は、暇(いとま)を告げずに立ち帰るのを許すこと。

張遼は関羽が提示した3つの条件を伝えるため、いったん曹操のもとへ戻っていく。

(04)下邳

曹操は話を聴いて驚き、3つ目の条件には初め難色を示したが、張遼に説かれ認めることにする。すぐに関羽を迎えてくるよう言い、恋人を待つように待ち抜いた。

管理人「かぶらがわ」より

関羽を下邳城からおびき出すために、もともと彼の味方だった捕虜を使う策はお見事でした。

しかし、曹操をも惚(ほ)れさせてしまう漢(おとこ)、関羽。やはり破格のスケールを感じさせます。

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