吉川『三国志』の考察 第097話「玄徳冀州へ奔る(げんとくきしゅうへはしる)」

袁紹(えんしょう)の援軍が来ないと聞き落胆する劉備(りゅうび)だったが、その間にも曹操(そうそう)の大軍は小沛(しょうはい)へ迫っていた。

劉備は張飛(ちょうひ)の献策を容れて奇襲を試みるも、裏をかかれ失敗。小沛と徐州(じょしゅう)の両城を失って行き場をなくし、やむなく冀州(きしゅう)へ向かう。

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第097話の展開とポイント

(01)小沛

劉備は冀州から帰った孫乾(そんけん)の報告を聞き、明らかに周章していた。彼がふさぎ込んでいるところへ、張飛が陽気に献策する。

短気な曹操のことだから、軍勢は許都(きょと)から休む間もなく駆け下ってきたに違いない。敵軍の用意が整わないうちに、また長途の疲れも癒えないうちに、自分が部下の猛卒をひきいて奇襲を仕掛け、まず敵の出はなに大打撃を加えるという。

その後、下邳(かひ)の関羽(かんう)と掎角(きかく)の形を取り、呼応して敵に変化の暇(いとま)を与えないようにすれば、かえって大軍は弱点となり、やがて破綻を来すことは明らかだとも。

劉備は感心して献策を容れ、張飛は準備を整え奇襲の機会をうかがう。20万の曹操軍は、まもなく小沛の県境まで近づいてきた。

この記事の主要テキストとして用いている新潮文庫の註解(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉氏)によると、「(掎角の計は)鹿を捕らえるのに後ろから足をひき(掎)、前からは角をとる(角)ように、前後が呼応して敵に当たること」だという。

(02)小沛の郊外

曹操の軍勢が小沛の県境を越えた日、一陣の狂風が吹いて中軍の牙旗(がき)が折れる。

『三国志演義 改訂新版』(立間祥介〈たつま・しょうすけ〉訳 徳間文庫)の訳者注によると、「(牙旗は)大将の旗。陣頭に立てる大きな旗で、竿(さお)の先を象牙で飾るからこう言うともいわれる」とある。

普段はあまり御幣を担がない曹操ながら、着陣当日だったためひとり馬上で瞑目(めいもく)して吉凶を占い、なお試みに諸将にも尋ねた。

荀彧(じゅんいく)は風が東南(たつみ)から吹いており、折れた旗の色が真紅だったと聞くと、兵法の「天象篇占風訣(てんしょうへんせんふうけつ)」の一項に見える通り、敵に夜陰の動きがある兆しだと言う。

ここで出てきた「天象篇占風訣」は出典がわからなかった。

なお『三国志演義(2)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第24回)では、吹いてきた風の方角は東南で同じだが、青と赤の二色旗が折れたとあった。

このとき先鋒の毛玠(もうかい)もわざわざ駒を返してきて、荀彧と同じ意見を述べた。

曹操は軍勢を九陣に分けて八面に埋伏させることにし、日没を待ち、必殺の捕捉陣を布(し)いて待ち構える。やがて劉備は孫乾を城の守りに残し、張飛とふた手に分かれて出撃した。

敵陣に近づいた張飛は、物見から哨兵まで眠りこけていると聞くと、一団になってまっしぐらに駆け入った。

ところが陣中には一兵の姿もなく、ただ広い空沢があるだけで、どこかでせせらぐ水音が聞こえるばかり。いぶかしんでいるところへ十方から曹操軍が現れ、逆に奇襲を仕掛けてくる。

張遼(ちょうりょう)・許褚(きょちょ)・于禁(うきん)・李典(りてん)に加え、徐晃(じょこう)・楽進(がくしん)・夏侯惇(かこうじゅん)・夏侯淵(かこうえん)らが八面鉄桶(てっとう)の象(かたち)を作り、その数十分の一にも足らない劉備や張飛の小勢を完全に包囲した。

数か所の手傷を負いながら、ようやく張飛は一方の血路を開いたが、続いてきた味方は20騎もいない。小沛へ戻ることもできず、残兵をひきいてボウ蕩山(ぼうとうざん。山+芒。芒碭山)方面へ落ち延びた。

この記事の主要テキストとして用いている新潮文庫の註解(渡邉義浩氏)によると、「(ボウ蕩山の)実在の地名は芒碭山(ぼうとうざん)。芒山と碭山のふたつを合わせ称する」という。

一方の劉備も支離滅裂に討ち減らされ、3、40騎で小沛城の近くまで逃げてくる。だが、河を隔てた彼方(かなた)に火の手が上がっており、すでに城は占領されていることがうかがえた。

(03)徐州の近郊

そこで道を変え、徐州を目指して夜明けまで駆け続けたが、その徐州城にも曹操軍の旗が翻っているのが見えた。行き場を失った劉備は、ふと孫乾から聞いていた袁紹の言葉を思い出し、ひとまず冀州へ行くことにする。

袁紹の言葉については前の第96話(03)を参照。

(04)青州(せいしゅう。臨淄〈りんし〉?)

劉備は楽進や夏侯惇の軍勢から追撃を受け続け、自分も馬も土にのめるばかりな苦しみをあえぎつつも、翌日には死地を逃れて青州の地を踏んだ。

青州の城主は袁紹の嫡男の袁譚(えんたん)だったので、劉備は旅舎を与えられ、この旨を伝える使いが袁紹のところへ飛ぶ。

(05)平原(へいげん)

ただちに袁紹は一軍を差し向け、劉備の身を引き取る。そのうえ冀州(鄴城〈ぎょうじょう〉?)の城外30里にある平原まで車馬を連ね、自ら出迎えた。

(06)冀州(鄴城?)

袁紹は城内で改めて劉備と対面。先に使いの孫乾をむなしく帰したことを言い訳すると、大船に乗ったお心で幾年でもおいでになられるがよいと言う。劉備は肩身が狭く、ひたすら謙虚に身を低くして頼むばかりだった。

管理人「かぶらがわ」より

せっかくの張飛の献策でしたが、中軍の牙旗が折れたことがきっかけとなり曹操に看破されてしまいました。

で、またも劉備は妻子と離ればなれになり、冀州の袁紹を頼る身に――。なかなか劉備は根拠地が定まりませんね。

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