劉備(りゅうび)は劉璋(りゅうしょう)の求めに応じ、漢中(かんちゅう)の張魯(ちょうろ)を討伐するとの名目で入蜀(にゅうしょく)の決意を固める。
そして黄忠(こうちゅう)・魏延(ぎえん)・龐統(ほうとう)らを遠征軍に加える一方で、荊州(けいしゅう)には諸葛亮(しょかつりょう)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)・趙雲(ちょううん)らを残すことにした。
第190話の展開とポイント
(01)成都(せいと)
張松(ちょうしょう)の復命を受けた劉璋は、面に狼狽(ろうばい)の色を隠せない。そこで張松は荊州の劉備を頼むよう勧め、そのための使者として孟達(もうたつ)と法正(ほうせい)を推薦する。
ところが、ここへ入ってきた黄権(こうけん)が大声で反対を唱えた。
劉備といえば、曹操(そうそう)すら恐れる人物。彼を迎え入れたら、たちまち人心が集まってしまうかもしれない。国にふたりの主なしだと。
さらに、張松は魏(ぎ)に使いしながら、帰途は荊州を回ってきたという取り沙汰もあると言い、群臣に賢慮を求める。
張松は、すでに蜀は危機にあると言い、ほかに良策があるならここで聞かせよとなじり寄った。
すると従事官(じゅうじかん。従事)の王累(おうるい)が進み出て言う。
「たとえ漢中の張魯がわが国に仇(あだ)をなすとも、それは疥癬(かいせん。疥癬虫の寄生で起こる、伝染性のひどくかゆい皮膚病。疥瘡〈かいそう〉)の病にすぎぬ。けれど劉備を引き入れるのは、これ心腹の大患です。不治の病を求めるも同じことです。断じてその儀はお見合わせあるように」
だが劉璋の頭には、もう先に聞いた張松の言葉が、頑として先入主になっている。恐ろしく感情を損ねて叱りだした。
こうして、ついに張松の進言は劉璋の容れるところとなる。使者を命ぜられた法正は、劉璋の書簡を持って荊州へ向かった。
(02)荊州(襄陽〈じょうよう〉?)
劉備は法正から書簡を受け取るが、その夜、ひとりで一室に考え込む。族弟の劉璋を討ち滅ぼしてはと、なお気にかけていた。
そこへやってきた龐統は、蜀の現状を火事場に例え、小義にとらわれることなく蜀へ入るよう、諄々(じゅんじゅん)と説く。彼の言葉を聴き、入蜀の決意を固める劉備。
法正を客館まで送っていった諸葛亮も戻ると、3人は鳩首(きゅうしゅ)して軍議にふけった。
翌日、法正にもこの旨を伝え、同時に陣触れを発し、いよいよ入蜀軍は勢ぞろいする。
もちろん劉備は中軍にあった。龐統を軍中の相談役とし、関平(かんぺい)と劉封(りゅうほう)も中軍に留める。黄忠と魏延を先鋒と後備に分け、遠征軍は5万の精鋭からなっていた。
それでも何より大事なのは荊州の守り。荊州には諸葛亮が残ることになった。
★相変わらず荊州(城)がどの城を指しているのかはっきりしない。このあたりの記述や『三国志演義(4)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第60回)を見ると、江陵城(こうりょうじょう)ではなく襄陽城のように思われる。
このほか襄陽の境には関羽。江陵城には趙雲。江辺(長江〈ちょうこう〉のほとり)の4郡(零陵〈れいりょう〉・桂陽〈けいよう〉・武陵〈ぶりょう〉・長沙〈ちょうさ〉)には張飛。こうして名だたる者を要所要所に据え、諸葛亮が中央の荊州に留守して四境鉄壁の固めとした。
★井波『三国志演義(4)』(第60回)では、劉備が西へ出発する間際になり、突然、廖化(りょうか)が一手の軍勢をひきいて投降してきたとある。そして劉備は廖化に関羽の補佐を命じ、ともに曹操を防がせることにした、という一事を挟んでいた。
吉川『三国志』では、ここで廖化が加入したことには触れていなかったものの、この後で関羽の補佐役として登場させている。
管理人「かぶらがわ」より
うまく劉璋を説き伏せた張松。もう蜀の半分ぐらいは劉備領みたいなものでしょうか? たびたび劉備は同族がどうのこうのと言いだしますけど、いつもわざとらしさを感じてしまうのですよね……。
テキストについて
『三国志』(全10巻)
吉川英治著 新潮社 新潮文庫
Yahoo!ショッピングで探す 楽天市場で探す Amazonで探す
記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます