涿県(たくけん)の楼桑村(ろうそうそん)で母と暮らす劉備(りゅうび)、この数年は旅に出ていた。
彼は故郷へ帰るにあたり、洛陽船(らくようぶね)の商人から母の好物である茶を買い求め、その晩は村の宿に泊まる。しかしそこへ――。
第001話の展開とポイント
(01)黄河(こうが)のほとり
劉備は蓆(むしろ)や簾(すだれ)を作って生計を立てている青年。母とともに涿県の楼桑村で暮らしている。
彼はこの一両年(1、2年)の旅で稼いだ金で、母の好物である茶を買って帰ろうと考え、洛陽船の到着を待っていた。
★冒頭で後漢(ごかん)の建寧(けんねい)元年のころとあり、(劉備の)年のころは24、5という一文も出てきたが、どうもしっくりこない。建寧元年は西暦168年にあたり、史実では延熹(えんき)4(161)年生まれの劉備と年代的なズレがある。ただ、これが意図的な設定なのかはわからなかった。
(02)とある水村(すいそん)
やがて洛陽船が到着。劉備は2年がかりで貯めた銀と砂金に加え、父の形見である剣の緒に下げていた琅玕(ろうかん。碧玉〈へきぎょく〉に似た美しい鉱石)の珠も差し出し、何とか茶を買うことができた。
その日は村の木賃宿に泊まる。すると夜半、洛陽船と交易した仲買人たちを狙い、黄巾賊(こうきんぞく)が村を襲ってきた。
(03)山道沿いの孔子廟(こうしびょう)
劉備は何とか村から逃げ出せたものの、山道沿いにあった孔子廟で黄巾賊の大方(だいほう)の馬元義(ばげんぎ)らと出くわす。そして馬元義に言われるまま、荷物を担いでついていくことになってしまった。
管理人「かぶらがわ」より
吉川『三国志』のスタートは黄河のほとりから。この第1話は劉備のイメージづけが中心になっているようです。
井波『三国志演義(1)』(第1回)では最初に時代背景の説明や、張角(ちょうかく)ら黄巾賊が蜂起するまでの経緯が語られていたのですが、吉川『三国志』では劉備の登場を頭に持ってきていました。
もちろん『三国志演義』の筋をそのままなぞる必要はないわけで、こういう描き方もアリでしょう。黄巾賊については、話が進む中で別の形で説明されています。
今回、吉川『三国志』の考察を行うにあたり、『三国志演義』については以下の訳書を読みました。
『三国志演義』 ※全7巻
井波律子(いなみ・りつこ)訳
筑摩書房 ちくま文庫
初版 2002/10/09~2003/04/09
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『三国志演義 改訂新版』 ※全4巻
羅貫中(らかんちゅう)著
立間祥介(たつま・しょうすけ)訳
徳間書店 徳間文庫
初版 2006/06/15~2006/09/15
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『完訳三国志』 ※全8巻
小川環樹(おがわ・たまき) 金田純一郎(かねだ・じゅんいちろう)訳
岩波書店 岩波文庫
改版初版 1988/07/07
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先生方が用いられた底本や翻訳のスタイルには違いがあります。吉川『三国志』と話の展開を比較する作業では、主として井波『三国志演義』を用いました。
訳書ではある意味、本文そのものより訳者注が興味深いと感じます。それらを参考にさせていただいた箇所では、その程度に応じた説明を加えたうえ出典を併記します。
テキストについて
『三国志』(全10巻)
吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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かぶらがわさん
こんにちは。私のブログに訪問して、コメントいただきありがとうございました。かぶらがわさんの考察、参考になります。私もちょくちょく、訪問させていただきますね。よろしくお願い致します。
shinさん、ありがとうございます。
私自身、まだまだ設定を理解しきれていませんので、
吉川版『三国志』を扱われているサイトについては、
積極的に見て回りたいと思っております。