吉川『三国志』の考察 第100話「破衣錦心(はいきんしん)」

曹操(そうそう)の関羽(かんう)への情熱はとどまるところを知らない。

あるときは関羽の袍(ひたたれ)が古びていたため見事な錦袍(きんぽう)を贈ったが、後に同席した折に見てみると、彼は贈った錦袍の上に古びた袍を重ね着していた。その心は――。

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第100話の展開とポイント

(01)許都(きょと) 丞相府(じょうしょうふ)

ある日、関羽がぶらりと丞相府に姿を見せる。劉備(りゅうび)の夫人たちの暮らす内院が雨漏りするため、その修築を頼みに来たのだった。

担当の役人から満足な返事を聞き、帰っていく関羽。その姿を曹操が楼台から見かけ、侍臣を遣って呼び戻す。

曹操は関羽の緑の袍が古びているのを見て、見事な錦袍を贈る。

ところがその後、何かの折にふと関羽の襟元を見ると、贈った錦袍は下に着て、上には依然、緑のボロ袍を重ね着して澄まし込んでいた。

訳を尋ねると関羽は、上に着ている袍はかつて劉皇叔(りゅうこうしゅく。天子〈てんし〉の叔父にあたる劉備)から拝領した恩衣なのだと話す。

朝夕にこれを着、これを脱ぐたび、劉皇叔と親しく会うようでうれしい気持ちを覚えるのだと。そのため、いま丞相(曹操)から錦繡(きんしゅう)の栄衣を頂いたものの、にわかに旧衣を捨てる気にはならないのだとも。

こう聞いた曹操は感に打たれたもののごとく、しみじみと関羽の姿に見とれた。

そこへ劉備の夫人たちに仕えている者が来て、関羽に帰宅を促す。夫人たちが何事かを嘆き、関羽を呼んでいるという。

すると関羽は挨拶もせずに駆け去ってしまうが、曹操は呆然(ぼうぜん)と見送り、何とか彼のような人物から心服されたいものだと、ひとりつぶやいていた。

(02)許都 関羽邸 内院

帰宅した関羽が甘夫人(かんふじん)と糜夫人(びふじん)に泣いている理由を尋ねると、何のことはない。うたた寝していた糜夫人が、夢にありありと夫の死を見たというのだ。

『三国志演義(2)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第25回)では、二夫人が泣き伏している一件は関羽が屋敷にいたときの話になっている。

関羽は不安を打ち消し、しきりと陽気な話題に話を逸らす。こうしてふたりを慰めていると、曹操の侍臣が内院の苑(にわ)まで来て再度の来訪を促した。

(03)許都 丞相府

関羽は丞相府へ戻っていく。こうしている間も劉備を忘れ得ない関羽だったが、今ここで曹操の機嫌を損じてはと、ひとり忍辱の涙を吞み、何事にも唯々諾々と服していた。

曹操は先ほどと別の閣室に花を飾って美姫を巡らし、善美な佳肴(かこう)と紅酒黄醸の瓶(かめ)を備えて待っていた。

そして関羽の瞼(まぶた)に泣いた跡があるのを見つけ、意地悪く尋ねる。

関羽は包まずに、二夫人が日夜、劉皇叔を慕って嘆かれるため、実は今ももらい泣きをしてきたのだと話す。大人的な態度に、また惚(ほ)れぼれと見入る曹操。

やがて酒も半ばたけなわのころ、曹操は関羽の髯(ひげ)について尋ねる。しかし関羽は、何の話が出てもすぐに自分を責め、劉備を思慕してやまない。

そのたびに曹操は話を逸らすことに努めながら、心の内で関羽の忠義に感じたり、反対にほろ苦い男の嫉妬や不快を味わうなどし、すこぶる複雑な心理に陥るのが常だった。

(04)許都 禁中(宮中)

翌日、曹操は関羽を誘って参内し、そのついでに錦の髯囊(ひげぶくろ)を贈る。献帝(けんてい)は関羽が胸に掛けている囊のことを尋ね、「なるほど、美髯公(びぜんこう)よ」と感想を漏らした。

帰り際、曹操は関羽がみすぼらしい痩せ馬を用いているのを見とがめる。凡馬では乗りつぶされてしまうと聞くと急に侍臣を走らせ、一頭の馬を引いてこさせた。

全身の毛は炎のように赤く、目はふたつの鑾鈴(らんれい。天子の車馬に付ける鈴)をはめ込んだよう。かつて呂布(りょふ)が乗っていた赤兎馬(せきとば)だった。

この馬を贈ると言うと、関羽は再拝して喜色をみなぎらせる。曹操は、これまで何を贈っても喜ばなかった関羽が大喜びしているので訳を尋ねた。

すると関羽は言下に答えた。

「こういう千里の駿足(しゅんそく)が手にあれば、一朝、故主玄徳(げんとく。劉備のあざな)のお行方が知れた場合、一日の間に飛んでいけますから、それをひとり祝福しているのです」

悠々と赤兎馬にまたがって帰っていく関羽を見送りながら、曹操は唇をかみ締める。どのような憂いも長く顔にとどめていない彼も、その日は終日ふさいでいた。

(05)許都 丞相府

張遼(ちょうりょう)は侍側の者から子細を聞き、深く責任を感ずる。そこで曹操に、関羽と会って本心を打診してみると申し出た。

(06)許都 関羽邸

曹操の内諾を得た張遼は、数日後に関羽を訪ねる。世間話の末に探りを入れてみたが、あくまで彼は劉備への忠義を貫く覚悟だとわかった。

また関羽は、何か一朝の事でもある場合は身相応の働きをし、日ごろのご恩に応えた後で立ち去る考えだとも話す。

(07)許都 丞相府

張遼からありのままの復命を受けた曹操。あえて怒る色も見せず、是非もないと長嘆するばかりだった。

関羽がひと働きしてご恩を報じ、そのうえで立ち去ると言っていたことを聞くと、そばにいた荀彧(じゅんいく)が献言。このうえは関羽に功を立てさせないに限ると。

管理人「かぶらがわ」より

劉備にもらったボロ袍を愛用する関羽。そして曹操から赤兎馬をもらい、大喜びする関羽。関羽のことではほろ苦い思いばかりの曹操。どうあっても志操を曲げない関羽。

その人柄と才能に惚れ込むあまり、執拗(しつよう)に口説き続ける曹操。まぁここまで来ると、ふたりとも立派ですよね。

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