吉川『三国志』の考察 第101話「白馬の野(はくばのの)」

愛児の病が癒えた袁紹(えんしょう)は上洛の決意を固め、曹操(そうそう)との全面対決へ突き進む。

そして袁紹は白馬(はくば)の野に自軍を集め、曹操ひきいる15万の軍勢と対峙(たいじ)した。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

第101話の展開とポイント

(01)冀州(きしゅう。鄴城〈ぎょうじょう〉?)

冀州の袁紹のもとに身を寄せていた劉備(りゅうび)は、無為の毎日に苦しんでいた。

あるとき袁紹がやってきて劉備に意見を聴く。愛児の病も癒えて山野の雪も解け始めたから、多年の宿志たる上洛の兵を催し、一挙に曹操を平らげようと思い立ったという。

ところが田豊(でんほう)は、今は攻めるより守る時期であると述べて反対するのだと。

劉備は、田豊の考えは安全だと一応の理解を示しながら、「時は今なりと信じます」と告げて出兵を促す。

その後、袁紹は田豊を呼びつけ、消極的な意見を痛罵する。

田豊は誰かが主君を唆したことを察するが、なお面を冒して反論を吐く。怒った袁紹は斬ろうとしたが、劉備らが押しとどめたため獄に下すよう厳命。

まもなく袁紹は河北(かほく)4州(冀州・青州〈せいしゅう〉・幽州〈ゆうしゅう〉・幷州〈へいしゅう〉)へ檄文(げきぶん)を発し、兵馬や弩弓(どきゅう)を選って白馬の野に集まるよう命ずる。

みな一族に向かい、千載の一遇だと言って功名や手柄を励ましたが、沮授(そじゅ)の出陣だけは違った。

沮授は、日ごろ仲の良い田豊が主君に正論を勧め、獄に下ったことを見て無常を感ずる。そこで一門の親類を呼ぶと、出立の前夜に家財や宝物などを残らず形見分けした。

(02)白馬

白馬の国境には、少数ながら曹操の常備兵がいた。しかし袁紹の大軍が着いてはひとたまりもなく、馬蹄(ばてい)にかけられ逃げ散ってしまう。

先陣のひとりを命ぜられた顔良(がんりょう)は、勢いに乗じて黎陽(れいよう)方面まで突っ込む。沮授は顔良の動きを危ぶみ注意を促したものの、袁紹は耳も貸さない。

(03)許都(きょと) 丞相府(じょうしょうふ)

国境から次々に入る注進に加えて急な兵糧や軍馬の動員で、許都は今にも天地が覆るような混雑だった。そのような中で関羽(かんう)が、今度の大会戦では先手に加えてもらいたいと熱望して出る。

曹操はうれしそうな顔をしたが、すぐに何かハッと思い当たったようにあわてて断った。関羽は返す言葉もなく帰っていく。

(04)白馬

日ならずして、曹操軍15万は白馬の野を控えた西方の山に沿って布陣し、曹操自ら指揮にあたった。

見渡すと、渺々(びょうびょう)の野に顔良の精兵10万余騎が凸形に固まり、味方の右翼を突き崩し、野火が草を焼くように押し詰めてくる。

曹操は宋憲(そうけん)を呼ぶと、顔良を討ち取るよう命ずる。だが武者震いして馬を飛ばした宋憲は、顔良に近づくと問答にも及ばず、一抹の赤い霧となった。

管理人「かぶらがわ」より

白馬で対峙する曹操と袁紹の大軍。顔良の前に、まず宋憲があっさり屠(ほふ)られてしまいました。

宋憲は呂布(りょふ)が処刑された第76話以来の登場でしたが、いかにもあっけない最期。呂布の捕縛では活躍していたのですけどね……。

コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます

タイトルとURLをコピーしました