吉川『三国志』の考察 第052話「禁酒砕杯の約(きんしゅさいはいのやく)」

劉備(りゅうび)に仕掛けた二虎競食(にこきょうしょく。両虎競食)の計を見事にかわされてしまった曹操(そうそう)。そこで荀彧(じゅんいく)は次なる一計を進言する。

こたびはさすがの劉備もかわしきれず、徐州(じょしゅう)の留守を張飛(ちょうひ)に預けて袁術(えんじゅつ)討伐へと出陣したが――。

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第052話の展開とポイント

(01)徐州(じょしゅう)

翌日、劉備(りゅうび)は勅使が泊まっている駅館へ答礼に出向く。呂布(りょふ)を殺せとの内命をすぐに果たすことはできない旨を書面にし、謝恩の表とともに託した。

(02)許都(きょと)

勅使から報告を受けた曹操(そうそう)は荀彧(じゅんいく)を呼び、劉備が二虎競食(にこきょうしょく)の計にかからなかったことを話す。

ここでいう二虎競食の計とは、正式に徐州の領有を許されていない劉備に詔(みことのり)を下し、併せて密旨を添え呂布を殺すよう命ずるもの。前の第51話(02)を参照。

すると荀彧は、新たに駆虎呑狼(くこどんろう)の計を勧める。これは、まず南陽(なんよう)の袁術(えんじゅつ)に使者を遣り、劉備が天子(てんし。献帝〈けんてい〉)に南陽攻略を願い出ていると伝える。

『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)の訳者注によると、「南陽は劉表(りゅうひょう)の支配地域である荊州(けいしゅう)に属しており、ここは淮南(わいなん)の誤りと思われる」という。

一方で劉備にも再び勅使を立て、袁術に違勅の科(とが)があるとして、詔(みことのり)をもって彼を討伐するよう命ずるというもの。

こうして豹(ヒョウ)に向かって虎をけしかけ、虎の穴を留守にさせる。留守のエサを狙う狼が何者か、すぐに察しがつくだろう、とも。

すぐさま南陽へ急使が飛び、それよりさらに急に、二度目の勅使が徐州へ勅命を届けた。

(03)徐州

劉備は城を出て勅使を迎え、詔を拝したあとで諸臣に諮る。糜竺(びじく。麋竺)は曹操の策略だと諫めたが、それでも劉備は南陽への進軍を決める。たとえこれが計としても、勅命とあっては違背はならないと言うのだった。

孫乾(そんけん)が、徐州城の留守を預かる者が重要だと述べると、劉備は自薦して出た関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)のうち、張飛のほうに留守を任せることにする。その際、張飛は禁酒を誓い、みなの前で愛用の白玉の杯(さかずき)を床に投げつけて打ち砕く。

劉備は、留守中は何事も堪忍を旨とするよう教え、軍師(ぐんし)の陳登(ちんとう)とよく相談して事を処理するよう言い残す。やがて劉備らは3万余騎をひきい南陽へ向かった。

井波『三国志演義(1)』の訳者注によると、「ここも同じく、南陽を淮南と改めるほうがよい」という。

(04)南陽(ここも淮南とすべき)

袁術は曹操の急使が届けた書面を見ると、諸将を城中の紫水閣(しすいかく)に集める。袁術は劉備の動きに激怒し、その日のうちに紀霊(きれい)を大将とする10万余騎を徐州へ向かわせた。

(05)臨淮郡(りんわいぐん) 盱眙(くい)

道を急いで南下してきた劉備軍と袁術軍は臨淮郡の盱眙で衝突。紀霊配下の部将の荀正(じゅんせい)が躍り出て劉備に近づきかけると、これを横合いから関羽が遮り、青龍刀で真っぷたつに斬り下げる。

袁術軍は壊走し、淮陰(わいいん)の辺りまで退いて陣容を立て直す。ただ、その後は矢戦(やいくさ)にのみ日を送り、にわかに押してくる様子を見せなかった。

(06)徐州

張飛は張り切って日夜望楼に立ち、軍衣を解き長々と牀(しょう。寝台)に寝ることもなかった。留守の将士たちも彼に服し、軍律も守られていた。

ところが張飛は、日々の務めに励んでいる部将や士卒らに報いようと、封印しておいた酒蔵から大きな酒瓶(さかがめ)を持ってこさせ、みなに一献ずつ振る舞う。

あちこちを見て回り、合わせて17個もの酒瓶を運ばせてしまい、酒蔵の番をしている役人は扉に封をする。城中は酒の匂いと士卒たちの歓声でにぎわい、張飛は身の置き所がなくなった。

そのうち士卒が勧めたものをつい手にして舌へ流し込むと、ガブガブと立て続けに2、3杯飲んでしまう。そこへ、酒蔵の役人から知らせを聞いた曹豹(そうひょう)が駆けつける。

曹豹が諫めたところ、怒った張飛は酒の柄杓(ひしゃく)で顔を殴りつけ、アッと驚く間に足を上げて蹴(け)倒していた。

井波『三国志演義(1)』(第14回)では、張飛と曹豹の一件は張飛が開いた宴席で起きている。曹豹が張飛に50回まで鞭(むち)打たれて恨みを募らせる展開などはほぼ同じだが、張飛を諫めているのが陳登であるなど、いくらか違いが見られる。

その場から姿を隠した曹豹だったが、張飛への恨みが骨髄まで染みてくる。ふと彼は恐ろしい一策を思いつき、すぐに密書をしたためると、それを自分の小臣(こもの)に持たせて小沛(しょうはい)の県城へ走らせた。

ここで徐州城から小沛までの道のりとして、「徒歩で走れば二刻、馬で飛ばせば一刻ともかからない。およそ45里(り)の距離であった」と説明されていた。また、この記事の主要テキストとして用いている新潮文庫の註解(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉氏)によると、「明代(みんだい)の1里は約560メートル」ともあった。

(07)小沛

呂布は眠りに就いたばかりだったが、曹豹の密書を受け取った陳宮(ちんきゅう)に起こされる。呂布がその密書を見ると、徐州城を守る張飛や城兵が酒に酔っていることや、曹豹が城内から門を開いて呼応することが書かれていた。

陳宮に急き立てられ、ついに意を決する呂布。赤兎馬(せきとば)に乗ると8、900人の手勢とともに徐州城へ向かった。

井波『三国志演義(1)』(第14回)では、ここで先発した呂布がひきいていったのは500騎。

(08)徐州

城門の下に立った呂布は、戦場の劉備から火急の事があり、すぐに張飛に諮る必要があると怒鳴って開門を促す。

城兵がこの件を取り次ぐため張飛を捜しに行くと、その間に曹豹が裏切りを始め、内から城門を開いてしまう。呂布とその手勢は潮のごとく入城。西園で酔いつぶれていた張飛が喚声に目を覚ましたころ、もう城内の混乱は収拾がつかなくなっていた。

張飛は駒に飛び乗って広場に出たものの、城兵は支離滅裂になっており、味方の部将18騎が無理やり彼を混乱の中から退かせ、東門の1か所をぶち破って城外へ逃げる。それでも張飛は100余騎をひきい追ってきた曹豹を見つけると、引き返して真っぷたつに斬り下げた。

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管理人「かぶらがわ」より

二虎競食の計は退けたものの、人柄の弱点を突いた駆虎呑狼の計には逆らえなかった劉備。しかも、この計の成功に酒好きの張飛がひと役買ってしまう形。これはやっちゃいましたね……。

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