吉川『三国志』の考察 第074話「煩悩攻防戦(ぼんのうこうぼうせん)」

曹操(そうそう)は下邳(かひ)を包囲し、城内の呂布(りょふ)に揺さぶりをかける。そのうち呂布は、腹心の陳宮(ちんきゅう)の進言さえ冷静に聞けなくなってきた。

さらに呂布は、延期していた自分の娘と袁術(えんじゅつ)の息子との縁談を再び持ち出し、これに最後の望みを託す。

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第074話の展開とポイント

(01)下邳

下邳城を巡る泗水(しすい)の流れを隔て、櫓(やぐら)に現れた呂布に城外から呼びかける曹操。

彼の話を聞いた呂布は、やがてしばらくの猶予を求め、城中の者と商議し降使を遣わすことにすると言いだす。

そばにいた陳宮は意外な返事に愕然(がくぜん)として跳び上がり、突然、横合いから大音声で曹操を罵り始める。そして一矢を放つと、矢は曹操の兜(かぶと)の眉庇(まびさし)に当たって折れた。

『三国志演義(2)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第19回)では、陳宮が放った矢は曹操の絹傘に当たっていた。

激怒した曹操は左右に付き従う20騎の者に向かい、すぐに総攻撃に移るよう命ずる。櫓の上の呂布はあわて、今の放言は陳宮の一存だと言い、陳宮と喧嘩(けんか)して醜態をさらす。

それでも高順(こうじゅん)や張遼(ちょうりょう)らになだめられると、呂布は陳宮に詫びて良計を乞うた。

そこで陳宮は掎角(きかく)の計を勧める。呂布が精兵をひきいて城外へ出る一方、陳宮は城に残って相互に呼吸を合わせ、曹操を首端の防ぎに苦しませるのだという。

この記事の主要テキストとして用いている新潮文庫の註解(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉氏)によると、「(掎角の計は)鹿を捕らえるのに後ろから足をひき(掎)、前からは角をとる(角)ように、前後が呼応して敵に当たること」だという。

さらに陳宮は、将軍(呂布)が城外へ出られれば、曹操は必ず将軍に首勢を向ける。すると自分が城内から曹操の尾端を叩く。

また敵が城のほうへ向かえば、将軍も転じて後方を脅かし、かくして掎角の陣形で敵を挟み、曹操を屠(ほふ)るという計だと説明。

呂布は将士に出陣の用意を言いつけ、自分も奥へ入って身支度を整えようとする。

ところが、妻の厳氏(げんし)に城から出ることを反対されると気持ちが揺らぐ。2日が過ぎ、3日が過ぎても出陣する様子を見せなかった。

陳宮が、許都(きょと)からおびただしい兵糧が運ばれてくるとの情報を得たとして出陣を促すと、呂布も明日は出陣する肚(はら)を決める。

しかしその夜、貂蟬(ちょうせん)の部屋へ入ると、彼女からも城を出ないでほしいと懇願され、またも出陣を取りやめてしまう。

ここで出てきた貂蟬は王允(おういん)の養女だった貂蟬とは別人。先の第61話(02)を参照。

翌日、呂布から出陣を中止すると聞かされた陳宮。部屋を出て慨然と長大息し、「我々はついに身を葬る天地もなくなるだろう」と力なく言った。

それからの呂布は日夜酒宴に溺れる。

ある日、陳宮に属す許汜(きょし)と王楷(おうかい)が呂布に目通りし、先の縁談をもう一度持ち出して袁術に救援を求めるよう勧めた。

袁術が自分の息子と呂布の娘との縁組みを申し入れたことについては、先の第61話(01)を参照。

呂布はふたりに書簡を預けて使いを命じたうえ、張遼と郝萌(かくほう)に500余騎ずつを授け、淮南(わいなん)の境まで送っていくよう言いつける。

使者となった許汜と王楷は深夜を待ち、張遼の500余騎を前に、郝萌の500余騎を後ろに、それぞれ備え、飛龍の勢目を形づくると城門を開いて突出した。

(02)下邳の郊外

張遼らはまんまと曹操の包囲網を越え、次の日の夜には劉備(りゅうび)の陣をも駆け通りに突破。淮南の境まで来ると許汜と王楷は張遼と別れたが、帰りの危険を考え、郝萌の500余騎は使者のふたりに随行することになった。

張遼は500余騎をひきいて引き返したが、今度は劉備の警戒線に引っかかり、現れた関羽(かんう)と2、3の問答を交わす。そのうち下邳から高順と侯成(こうせい)が助けに来たので、張遼は危ういところで虎口を逃れ、無事に城へ帰ることができた。

許汜と王楷は淮南で袁術に会い、まずまずの返事をもらい急いで帰ってきたが、二更(午後10時前後)のころ関所の辺りを駆け抜けようとすると、張飛(ちょうひ)の手勢に包囲される。

使者の守りに付いていた郝萌は捕らえられ、ひきいていた500騎もあらまし討たれたが、乱戟(らんげき)混戦の闇に紛れ、許汜と王楷は身ひとつで下邳まで逃げ着いた。

(03)劉備の本営

劉備は郝萌を取り調べるが容易に真実を吐かない。そこで張飛が士卒に命じて背に百鞭(ひゃくべん)を加えたところ、ようやく一切を自白した。

夜が明けてから、劉備はこの趣を書面にして曹操へ届けさせる。曹操からは郝萌の斬首と、往来の警戒をさらに厳しくするようにとの返事が届いた。

(04)下邳

許汜と王楷が呂布に復命。なお袁術は息子かわいさに縁談に未練があるようだと聞くと、呂布は自ら娘の身を淮南の境まで送っていくことにする。

翌日の夜、張遼と侯成は3千余騎をひきい、軍中に車を引いて城を出た。だが車に娘は乗っておらず、軍勢の真ん中にいた呂布が背に負っていた。

井波『三国志演義(2)』(第19回)では、このとき呂布に続いて出たのは張遼と高順。

(05)下邳の郊外

呂布らが進むこと100余里、突如として関羽の一隊が現れる。しかし呂布は、背にしている娘に矢や刀を受けることを恐れて何の働きもできない。赤兎馬(せきとば)を向け直し、もとの道へと逃げ出す。

途中では曹操配下の徐晃(じょこう)や許褚(きょちょ)らに挑まれたが、目をふさいで赤兎馬に鞭(むち)を打ち続け、下邳までひと息に駆け戻った。

管理人「かぶらがわ」より

寵愛する妻妾(さいしょう)の涙の前に、陳宮の掎角の計をつぶす呂布。最後の頼みは袁術ですが、人質がわりの娘の身を送り届けるのも簡単ではない……。

駿足(しゅんそく)に衰えが見られない赤兎馬の馬齢が気になった、第74話でした。

テキストについて

『三国志』(全10巻)
吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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