樊城(はんじょう)の曹仁(そうじん)が関羽(かんう)に包囲されると、曹操(そうそう)は援軍の総大将に于禁(うきん)を指名したうえ、豪勇の龐徳(ほうとく。龐悳)を副将とし、七手組(ななてぐみ)と呼ぶ、自身の親衛軍も添えることにした。
すでに副将の印綬(いんじゅ。官印と組み紐〈ひも〉)を授かった龐徳だったが、夜半に曹操から急な呼び出しがあり、軍令の変更を伝えられる。その理由を聞いた龐徳は――。
第227話の展開とポイント
(01)樊城
樊城は包囲された。弱敵に囲まれたのと違い、名だたる関羽とその精鋭軍に包囲されたのであるから、落城の運命は当然に迫った。
(02)鄴都(ぎょうと) 魏王宮(ぎおうきゅう)
樊城から来援を乞う早馬が着くと、魏王宮中は大いに憂える。
★『三国志演義(5)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第73回)では、このとき曹操は長安(ちょうあん)にいた。
曹操は評議の席に臨むと、列座を見回して于禁を指名。
于禁は重責を感じ、この命を受けるとともに、誰か先手の大将たるべき豪勇の人を添えてほしいと願い出る。
すると龐徳(龐悳)が名乗り出た。漢中(かんちゅう)進攻で捕らわれて以来、曹下の禄を食(は)んでいた者である。
曹操はこれを許したうえ、七手組を加勢に付けた。彼の親衛軍七手の大将で、魏軍数百万から選び挙げた豪傑たちだった。
ところがその夜、七手組の董衡(とうこう)が密かに于禁を訪ね、副将として龐徳が先陣にあたることへの不安を述べる。
龐徳は西涼(せいりょう)の生まれで、馬超(ばちょう)の腹心だった者。その馬超は、いま蜀(しょく)で劉備(りゅうび)に重用され、五虎大将軍(ごこだいしょうぐん)のひとりに加えられている。
★五虎大将軍について、井波『三国志演義(5)』(第73回)では五虎大将となっていた。
のみならず、龐徳の兄の龐柔(ほうじゅう)も蜀にいる。そういう危険な陰影を持っている人物を先陣に立てて、蜀軍とまみえることは、何とも複雑な神経を抱かせるのだと。
これを聞いた于禁は、夜中ながら曹操に目通りを願い、その由を告げた。曹操はひとまず聞き置くとし、別に使いを遣って龐徳を呼び寄せる。
曹操が軍令の変更を伝え、いったん授けた印綬を取り上げると、龐徳は面色を変えて訴えた。
曹操は、予自身は汝(なんじ)に二心がないことをわかっているが、衆口は何とも防ぎようがないとなだめる。
龐徳は冠を解き、床に座し、頓首(とんしゅ。頭を地面に打ちつけて礼をすること)して自己の不徳を詫びた。
なお龐徳は激しく語り続け、兄の龐柔とは多年、義絶している仲であること。また馬超とは別離以来、一片の音信も通じていないこと。
ことに馬超のほうから自分を捨てて、蜀へ降ったものであるから、今日その人に義を立て、蜀軍に弓を引けないような筋合いはまったくないのだと述べた。
曹操は龐徳の身を助け起こし、いと懇ろに苦悶(くもん)をなだめた。
こうして印綬が戻されると、龐徳は感涙にむせび、誓って大恩にお応えせんと、百拝して退出した。
(03)鄴都 龐徳邸
龐徳の屋敷には、出陣の餞別(はなむけ)を呈するため、知己朋友(ほうゆう)が集まった。
★井波『三国志演義(5)』(第73回・第74回)の筋に従うなら、ここも鄴都ではなく長安になるが、話の展開と合わない。吉川『三国志』では、ここは鄴都だという設定で話が進んでいる。
帰宅した龐徳は召し使いを走らせ、死人を納める柩(ひつぎ)を買いに行かせる。そして妻の李氏(りし)に、柩を酒席の正面に飾っておくよう言う。
★井波『三国志演義(5)』(第74回)では、帰宅した龐徳が職人に木棺を作らせたとあった。
龐徳は着替えたあと客間に臨んだが、客はみな正面の柩をいぶかり、お通夜のように潜まり返っていた。
龐徳は今宵の顚末(てんまつ)を逐一話し、魏王の大恩に感泣して帰ってきた心事を一同へ告げ、関羽との決戦に臨む覚悟を述べた。
悲壮な主の決心を知り、満座みな袖を濡らしたが、妻の李氏は、かいがいしく侍女や下僕を指図して、夜の白むまで夫や客の酒間に立ち働き、ついに涙を見せなかった。
夜が白むと、鄴都の街は鉦太鼓(かねたいこ)の音がやかましい。于禁の一族や七手組の大将が、それぞれ出陣する触れである。
龐徳の屋敷でも、はや門を開かせ、掃き清めた道を、やがて主人が郎党を従えて出てきた。見れば彼の兵は列の真っ先に、白錦襴(しろきんらん。金襴〈金の糸を模様に織り込んだ美しい織物〉の類い)で覆いをした柩を高々と担っている。
門外に堵列(とれつ)していた500余人の部将や士卒はびっくりした。葬式が出てきたと思ったからである。
龐徳は馬上から、生きて帰らぬ決心と魏王の大恩を告げた。さらに、もし自分が関羽に討たれてむなしき屍(しかばね)となったときは、この柩に亡骸(なきがら)を納め、魏王の見参に入れてくれとも話す。
(04)鄴都 魏王宮
曹操は龐徳の出陣ぶりを聞き、喜悦を表す。
★ここも井波『三国志演義(5)』(第74回)では、長安での出来事として描かれている。
すると、そばにいた賈詡(かく)が注意を促した。武勇だけなら龐徳は関羽とも互角だが、知略では到底及ばないだろうと。魏のまたなき大将を、むざむざ死なせに遣るようなことは、決して良計とは思えないとも。
曹操は使いを遣り、龐徳に王命を伝えさせた。戦場に着いても、必ず軽々しく仕掛けるな。敵を浅く見るな。関羽は知勇兼備の聞こえある者。くれぐれも大事を取り、仕損ずるなかれと。
管理人「かぶらがわ」より
味方から起用を危ぶむ声が出て、男泣きに忠心を示す龐徳。これほどの勇将が曹操に付いたことは、劉備にとっては痛手でしたね。
もちろん馬超や馬岱(ばたい)は活躍してくれましたが、それに龐徳も加わっていたら――。諸葛亮(しょかつりょう)の作戦にも少なからず影響を与えたはず……。
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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