吉川『三国志』の考察 第061話「花嫁(はなよめ)」

呂布(りょふ)の一計で劉備(りゅうび)との和睦を吞まざるを得なくなり、何ら戦果を上げられずに帰国する袁術(えんじゅつ)配下の紀霊(きれい)。

報告を聞くなり激怒した袁術だったが、紀霊は、いっそ呂布の娘を(袁術の息子の)嫁として迎えてはどうかと進言する。

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第061話の展開とポイント

(01)淮南(わいなん) 寿春(じゅしゅん)

呂布の仲介で劉備との和睦がまとまると、紀霊は軍勢をひきいて帰国。子細を聞いた袁術は嚇怒(かくど。激しく叱ること)する。

そして自ら大軍をひきいて徐州(じょしゅう)と小沛(しょうはい)の攻略に乗り出そうとするが、紀霊は諫める。そのうえ、呂布の娘を(袁術の)息子の嫁に迎えて婚を通じ、彼の心を籠絡してみるよう勧めた。

そこで袁術は一書をしたため、今回の和睦に対する謝意を伝える。その後、わざと2か月ほど間を置いてから、今度は縁談の使者を遣わした。

ここで呂布の妻の姓が厳氏(げんし)だとわかる。なお、厳氏は先の第37話(02)で既出。

(02)徐州

袁術から縁談が持ち込まれると、呂布は「よく考えたうえ、いずれご返事は当方より改めて」と、世間並みな当座の口上を述べておく。

だが、先には和睦の仲介へ厚く感謝してきており、それからの縁談ということで、彼もまじめに考えてみる。

呂布の閨室(けいしつ。家庭)はもともと第一夫人と第二夫人、それに妾(しょう)と呼ぶ婦人の3人だった。

厳氏は正妻で、そのあと曹豹(そうひょう)の娘を入れて第二夫人としたが、早世したので子どもはなかった。

3番目の妾は貂蟬(ちょうせん)という。ただこれは王允(おういん)の養女だった貂蟬とは別人で、彼女の死後、諸州から似た女性を捜してきたものだった。

貂蟬に関する記述は『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第16回)と大きく異なる。『三国志演義』では(王允の養女であった)貂蟬が(呂布の)側室として存命だが、吉川『三国志』ではすでに亡くなっている。先の第40話(08)を参照。

妾の貂蟬にも子どもはなく、厳氏の生んだ娘があるだけだった。呂布が相談すると厳氏は賛意を示す。

厳氏は袁術が近々天子(てんし)になるといううわさを聞いており、その息子へ嫁がせるのであれば、やがて娘は皇妃になれる望みがあると考えていた。

その後、袁術の使者として韓胤(かんいん)が来る。呂布は駅館で手厚くもてなし縁談承知の旨を伝えたうえ、使者の一行に多くの金銀を与えた。また韓胤が帰国する際には、袁術への豪華な贈り物を馬や車に山と積んで持たせた。

井波『三国志演義(1)』(第16回)では、この第61話(01)で遣わされた使者も韓胤が務めており、その際に呂布が縁組みを承諾している。ここで再び韓胤が徐州へ来たのは、袁術がただちに調えた結納の金品を届けるためとあり、吉川『三国志』の展開とはいくらか異なっていた。

韓胤が帰国した翌日、朝から陳宮(ちんきゅう)が政務所の閣に控え、呂布が起きてくるのを待っていた。

陳宮は呂布と水亭の一卓を囲むと縁談に賛成しつつ、身分や慣例に構わず、四隣の国々が気づかぬ間にご息女を袁家の寿春まで送ってしまうよう勧める。

呂布がすでに使者の韓胤が帰国したと伝えると、陳宮は今朝、自分の一存で密かに韓胤の旅館を訪問し、内談したことを打ち明ける。

ここで陳宮は「今朝、韓胤の旅館を訪問した」と言っていたが、その前には「韓胤が帰国した翌日」ともあっておかしい。「昨日の朝、韓胤の旅館を訪問した」とするか、「韓胤が帰国する前に旅館を訪問した」としたほうがよかったと思う。

呂布は陳宮が韓胤に働きかけ、袁術のほうでも受け入れの準備を急いでもらうよう頼んでいたことを聞き、娘を嫁がせる支度や日取りに心を奪われた。妻の厳氏に言い含め、夜を日に継いで輿入れの準備を急がせる。

やがて娘を送り出す朝が来る。花嫁を乗せた白馬金蓋の馬車は、多くの侍女や侍童と美装した武士の列に守られて城外へ送り出された。

井波『三国志演義(1)』(第16回)では、嫁入り行列に呂布配下の宋憲(そうけん)と魏続(ぎぞく)、さらに袁術の使者である韓胤も同行していた。このあたりの展開が吉川『三国志』と異なることにはすでに触れたが、結納の金品を届けに来た韓胤は先に帰国していないことになっている。

(03)徐州 陳登邸(ちんとうてい)

劉備配下の陳登の父である陳珪(ちんけい)は、老齢のため息子の屋敷で病を養っていた。そこへにぎやかな鼓楽が聞こえてきたので小間使いに尋ねると、呂布の娘の花嫁行列だとわかった。

すると陳珪は急ぎ驢(ロ)に乗って徐州城に上がり、呂布への目通りを願う。

(04)徐州

陳珪は、今回の縁談は袁術の策謀だとし、まずご息女を人質に取っておき、そのうえで小沛の劉備を攻め取る考えなのだと述べる。

不安に駆られた呂布は陳宮を「浅慮者(あさはかもの)」と怒鳴りつけ、にわかに500の騎兵を呼び、娘の輿を追いかけて連れ戻すよう命じた。

そのうえで書面をしたため、娘が微恙(びよう。軽い病気)で寝ついたため当分は輿入れを延期したい、と早馬で袁術に伝えさせた。

井波『三国志演義(1)』(第16回)では、ここで韓胤ら袁術の使者一行をことごとく連行し監禁している。

管理人「かぶらがわ」より

袁術の次の策は婚姻。呂布の娘は、孫権(そんけん)の妹のような男勝りという設定ではないのですね。

まぁ、この第61話は陳珪でしょう。吉川『三国志』での彼は一見とぼけた感じながら、その実は抜け目のないところが味わい深い。

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吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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