吉川『三国志』の考察 第062話 「馬盗人(うまぬすびと)」

陳珪(ちんけい)の画策により、呂布(りょふ)の娘と袁術(えんじゅつ)の息子との縁組みはひとまず先延ばしになった。

ちょうどそのころ、呂布の命令で山東(さんとう)へ軍馬の買い付けに行っていた宋憲(そうけん)らが戻ってきたが、小沛(しょうはい)の境で強盗に遭い、良馬ばかり200頭以上も奪われてしまったと復命する。

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第062話の展開とポイント

(01)徐州(じょしゅう) 陳登邸(ちんとうてい)

呂布(りょふ)を諫めて娘の輿入れを延期させた翌日、陳珪(ちんけい)は息子の陳登の屋敷で病床に横臥(おうが)していた。

だが、つらつら険悪な世上の動きを考えると、陳登が仕えている小沛(しょうはい)の劉備(りゅうび)の位置は実に危険なものに思えてならない。彼は心配のあまり一書をしたため、使いを立て呂布に届けさせた。

(02)徐州

呂布が陳珪の意見書を開いてみると、娘の輿入れを見合わせたのを幸いに、まだ帰途にある袁術(えんじゅつ)の使者の韓胤(かんいん)を捕らえ、許都(きょと)の朝廷へ差し出すよう勧めていた。

このあたりの『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第16回)との展開の違いについては、前の第61話(02)および(03)を参照。

それから政閣のほうへ出ていくと、何事か吏士たちが騒いでいた。侍臣に聞いてこさせると、小沛の劉備が続々と馬を買い込んでいるとのこと。呂布は笑って気に留めなかった。

3日後、山東(さんとう。函谷関〈かんこくかん〉以東)地方へ軍馬の買い付けに行っていた宋憲(そうけん)と役人たちが帰ってくる。

井波『三国志演義(1)』(第16回)では、宋憲に加えて魏続(ぎぞく)も軍馬の買い付けに行ったとあった。

ところが、名馬300頭を引いて一昨日の夜に小沛の境に差しかかったとき一団の強盗が現れ、そのうちの逸物ばかり200頭以上を奪い去ってしまったという。

井波『三国志演義(1)』(第16回)では、宋憲と魏続が良馬300余頭を購入して沛県の県境まで戻ってきたとき、山賊にその馬の半分を強奪されてしまったと話していた。

呂布は声を荒らげて責任をただすが、宋憲は、その強盗が劉備の義弟の張飛(ちょうひ)だったと伝える。怒った呂布はすぐに部将を集め、自ら軍勢をひきいて小沛の県城に迫った。

(03)小沛

劉備が兵をひきいて城外へ出ると、呂布からひどい侮辱を受ける。劉備は身に覚えがないので口をつぐんでいたが、そのとき後ろから進み出た張飛が軍馬を奪ったことを認めたうえ、呂布を糞賊(ふんぞく)呼ばわりする。

呂布と張飛は一騎討ちを始め、200余合(ごう)も打ち合うが勝敗はつかない。日暮れとなって退鉦(ひきがね)が鳴らされ、やむなく引き揚げる張飛。劉備は張飛を叱りつけ、関羽(かんう)に命じ200余頭の軍馬をすべて送り返した。

この第62話(02)で触れたような事情から、井波『三国志演義(1)』(第16回)では張飛が奪った馬は150頭だったとある。

機嫌を直して兵を退こうとする呂布だったが、陳宮(ちんきゅう)は、今もし劉備を殺さなければ必ず後の禍いになると諫める。

そこで、翌日にわたり息もつかずに攻め立てたので、小勢の小沛はたちまち危うくなった。劉備は孫乾(そんけん)の進言に従い、城を捨て許都の曹操(そうそう)を頼ることにする。

その夜の三更(さんこう。午前0時前後)に搦(から)め手(城の裏門)から抜け出すと、腹心とわずかな手勢だけで落ち延びていった。

管理人「かぶらがわ」より

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吉川『三国志』 (03) 草莽の巻
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