吉川『三国志』の考察 第050話「火星と金星(かせいときんせい)」

献帝(けんてい)の詔(みことのり)を拝受し、先発させた部隊に続き自身も上洛した曹操(そうそう)。李傕(りかく)や郭汜(かくし)は彼の相手ではなく、瞬く間に撃退されてしまう。

ある夜、曹操は荀彧(じゅんいく)を連れて楼に上り、王立(おうりゅう)から聴いた話を打ち明け意見を求める。

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第050話の展開とポイント

(01)洛陽(らくよう)

献帝(けんてい)の詔(みことのり)を受けて曹操(そうそう)が上洛すると、今は明らかに賊軍と呼ばれている李傕(りかく)と郭汜(かくし)は戦(いくさ)に焦っていた。

だが謀将の賈詡(かく)が、ふたりを諫めて承知しない。降伏を勧めた賈詡は幕中での謹慎を命ぜられるが、その夜、幕をかみ破りどこかへ逃亡してしまう。

翌朝、李傕と郭汜の軍勢は前進を開始し、曹操の軍勢にひた押しに当たっていった。

李傕の甥の李暹(りせん)と李別(りべつ)が駒を並べて曹操軍の前衛を蹴(け)散らしにかかると、曹操の中軍から許褚(きょちょ)が飛び出し、李暹を一刀の下に斬り落とす。

続いて許褚は、驚いて逃げ走った李別も後ろから追いつかみ、その首をねじ斬って静々と駒を返してきた。

曹操は許褚の背を叩(たた)き、「そちはまさに当世の樊噲(はんかい。前漢〈ぜんかん〉の高祖〈こうそ〉劉邦〈りゅうほう〉の猛将)だ」と褒め称える。

李傕と郭汜は到底、曹操の敵ではなかった。戦は曹操軍の大勝に帰し、賊軍は茫々(ぼうぼう。疲れたさま?)と追われて西のほうへと逃げ去った。

こうして曹操の勢いが日増しに盛んになってくると、これまで献帝を守護してきた自負のある楊奉(ようほう)と韓暹(かんせん)は不安を感じ始める。

ふたりは4、5日ほど密議を凝らしていたが、ある夜、忽然(こつぜん)と宮門の兵をあらかた誘い出しどこかへ移ってしまう。

朝廷で行方を捜させると、前に逃げ散った賊兵を追いかけると称しながら、兵をひきいて大梁(たいりょう)の方面を指していったことが判明する。

(02)曹操の軍営

曹操は、献帝が遣わした勅使で正議郎(せいぎろう)の董昭(とうしょう)と会い、その人品の良さに感銘を受けながら、同時に恐ろしさも感じた。

そこで荀彧(じゅんいく)も呼び酒宴を設け、彼と時局について談ずる。その席で董昭は許昌(きょしょう)への遷都を勧める。曹操は今後の交誼(こうぎ)を約し、その日は董昭と別れた。

その夜また別の客があり、侍中(じちゅう)・太史令(たいしれい)の王立(おうりゅう)が天文を観て述べたという見解について話す。

『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第14回)では、ここで述べられている天文の一件は、王立が宗正(そうせい)の劉艾(りゅうがい)にこっそり言った、ということになっている。なお、吉川『三国志』では劉艾を使っていない。

王立は、昨年から太白星(たいはくせい。金星)が天の河を貫き、熒星(けいせい。火星)の運行もそれへ向かい、両星が出会おうとしている。

かくのごときは千年に一度か二度の現象で、金火の両星が交会すれば、きっと新しい天子(てんし)が出現すると言われているとして、大漢(たいかん)の帝系もまさに終わらんとする気運で、新しい天子が晋魏(しんぎ)の地方に興る兆しではないかと予言していたという。

その客が帰ると、曹操は荀彧を連れて楼に上った。王立の話について尋ねられた荀彧は、漢室は元来火性(かせい)の家で、曹操は土命(どめい)である。許昌は土性の地なので、そこを都としたら曹家は隆々と栄えるに違いないと答える。

王立に天文の説を口止めさせておこうと、使いを遣る曹操。

この記事の主要テキストとして用いている新潮文庫の註解(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉氏)によると「(火性の家や土命は、)五行相生説(ごぎょうそうしょうせつ)に基づく易姓革命のこと。国家は五行(木〈もく〉・火〈か〉・土〈ど〉・金〈ごん〉・水〈すい〉)の順で移り変わり、漢(火徳)を継ぐ国家は土徳であるとされていた」という。

(03)洛陽 仮御所

曹操は献帝に許昌への遷都を上奏して許しを得る。

(04)洛陽の郊外

再び遷都が決行され、警護や儀仗(ぎじょう)の大列が献帝を守って洛陽を発し、数十里(り)ほど先の丘にかかると楊奉と韓暹の軍勢が現れた。

曹操に向かってくる楊奉配下の徐晃(じょこう)。曹操の命を受けて許褚が飛び出し、ふたりは壮絶な一騎討ちを繰り広げる。

この一騎討ちを遥かに見守っていた曹操は突然、鼓手に退き銅鑼(どら)を打たせる。曹操軍はみな兵を返し、許褚も徐晃を捨てて帰ってきた。

曹操は許褚や幕僚らに、徐晃を招き味方にしたいとの考えを話す。すると満寵(まんちょう)が説得役に名乗りを上げる。

(05)洛陽の郊外 徐晃の軍営

その夜、満寵はひとりで徐晃と会い、曹操が高く評価していることを伝える。満寵はすり寄って何かささやいたが徐晃は嘆息し、「一日でも主と頼んだ人(楊奉)を首にして、降伏して出る気にはなれん」と言い断った。

ここでは満寵と徐晃が旧友という設定になっていた。

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管理人「かぶらがわ」より

この当時は天文の暦数(太陽や月などの運行のありさまを暦に作る法)や五行説が大きな力を持っていたそうです。

それも当然で、日食や月食を始めとする天変地異というのは非常に恐ろしいものだったでしょうし、これらを正しく恐れる心というのは大切なのだとも思います。

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