吉川『三国志』の考察 第049話「改元(かいげん)」

幾多の苦難を堪え忍び、ついに献帝(けんてい)は洛陽(らくよう)への還幸を果たす。ところが、すでにかの地は荒れ果てており、とても住めるような状態ではなかった。

さっそく形ばかりの復興に取りかかり、年号も「建安(けんあん)」と改元したものの、いかんせん今の朝廷には力がなさすぎた。そこで献帝は、ある男のもとへ勅使を遣わす――。

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第049話の展開とポイント

(01)洛陽

幾度も虎口から逃れ、百難を越えて洛陽への還幸を果たした献帝。だが今や洛陽は、見渡す限り草ぼうぼうの野原にすぎなかった。

『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第14回)では、献帝が箕関(きかん)を通過したところ、河内太守(かだいたいしゅ)の張楊(ちょうよう)が粟(アワ)や絹を用意し、軹道(しどう)で車駕(みくるま。天子〈てんし〉の乗る車)を出迎えたとある。

そこで献帝が張楊を大司馬(だいしば)に任ずると、彼は別れの挨拶をして駐屯地の野王(やおう)に戻ったともあった。吉川『三国志』では、この張楊がらみの一件に触れていない。

住民はといえば、以前の城門街の辺りにみすぼらしい茅屋(あばらや)が数百戸あるものの、連年の飢饉(ききん)や疫病のため辛くも暮らしている者ばかり。

その後、公卿(こうけい)たちは戸帳を作って住民の数を詮議し、同時に年号も「建安」と改元された。

建安元年は西暦196年にあたる。

まずは御所の仮普請が急がれたが、土木を起こす人力はなく、朝廷には財もない。極めて粗末な、ただ雨露をしのいで政事(まつりごと)に足るだけの仮御所が建てられた。

これが建っても、供御(くご。天子の御用にあてる)の穀物もなければ百官の食糧もない。尚書郎(しょうしょろう)以下の者はみな裸足となり、土木や耕作に従事して日々の生計のために働く。

高位の官吏も差し当たり政務がないので、暇があれば山に入って木の実を採ったり鳥獣を狩ったりし、薪(たきぎ)や柴(シバ)を集めて供御を調えた。

あるとき太尉(たいい)の楊彪(ようひょう)が、山東(さんとう。崤山〈こうざん〉・函谷関〈かんこくかん〉以東の地域。華山〈かざん〉以東の地域ともいう)の曹操(そうそう)に詔(みことのり)を下し、社稷(しゃしょく。土地と五穀の神。国家)の守りを命ずるよう勧める。献帝は彼の意見を容れ、山東へ勅使を遣わすことを許した。

井波『三国志演義(1)』(第13回)では、楊彪が献帝に李傕(りかく)と郭汜(かくし)に反間の計を施すことを進言した際、二賊を互いに争わせてから、曹操に詔を下してふたりを殺させることも勧めていた。この話は吉川『三国志』では先の第46話(01)に相当するが、そこでは曹操に詔を下したことに触れていない。

そのため井波『三国志演義(1)』(第14回)では、このとき曹操に使者を遣わし、改めて入朝を命じたことになっているが、一方の吉川『三国志』では、ここで初めて曹操のもとに勅使を遣わしたように描かれている。

(02)山東

宴席からひとり離れて酔いを醒(さ)ましていた曹操のところに、曹洪(そうこう)が県城から早打ちが来たことを伝える。この地に勅使が下向してくるという。

曹操は宴席にいる群臣に、口をすすぎ手を清め、酒面を洗って大評議の閣に集まるよう伝えさせる。皆が閣の大広間に集まると曹操は荀彧(じゅんいく)に、昨日述べた意見をそのままこの場で述べるよう言う。

荀彧は起立し、いま天子を助ける者は英雄の大徳であり、天下の人心を収める大略であるとの意見を、理論を立てて滔々(とうとう)と演説した。

(03)洛陽

山東へ勅使が下り1か月ほど経ったころ、李傕と郭汜が大軍を整え、捲土重来(けんどちょうらい)して洛陽へ攻め上ってくるとの急報が届く。

董承(とうじょう)は献帝に、仮宮を捨てて曹操のもとに身を寄せるよう勧めた。だが楊奉(ようほう)と韓暹(かんせん)は反対し、ふたりで賊を防いでみると言い張る。

言い争っているうちに敵の先鋒が近づくと、献帝は皇后(伏氏〈ふくし〉)を伴い、御車(みくるま)で南へ向かった。

御車が十数里も進むと、行く手の広野に横たわる丘の一端から漠々たる馬煙が立ち上る。みな敵かと騒ぎだしたが、これは曹操が第1陣として遣わした夏侯惇(かこうじゅん)ら10余将の幕下にある5万の軍勢だった。

夏侯惇らが献帝に拝謁しているところへ、東のほうに敵が見えるとの知らせが届く。しかしこれも曹洪を大将、李典(りてん)と楽進(がくしん)を副将とする、先陣の後ろ備えの歩兵3万だった。

御車は8万の曹操軍に守られて洛陽へ引き返す。何も知らずに洛陽を突破し殺到した李傕と郭汜の連合軍だったが、曹操軍に存分に打ちのめされて十方に散乱。ほどなく曹操も大軍をひきいて上洛した。

管理人「かぶらがわ」より

荒れ果てた洛陽へ還幸する献帝。朝廷に復興する力はなく、ついに曹操のもとに勅使が下向しました。

反董卓(とうたく)連合軍では苦杯をなめた曹操。ここで満を持しての再登場といったところでしょうか?

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