吉川『三国志』の考察 第175話 「凜々細腰の剣(りんりんさいようのけん)」

新妻の承諾を得たうえで密かに孫権(そんけん)のもとを離れ、荊州(けいしゅう)へ帰ろうと道を急ぐ劉備(りゅうび)主従。

ほどなく孫権や周瑜(しゅうゆ)の手配した追手に阻まれたものの、ここで新妻が彼らを一喝し退けてくれた。

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第175話の展開とポイント

(01)柴桑(さいそう)の郊外

劉備(りゅうび)らは夜も日も馬に鞭(むち)打ち続け、ようやく柴桑へ近づく。劉備はややホッとしたが、夫人の呉氏(ごし)は何と言っても女性の身、騎馬の疲れは思いやられた。

劉備の夫人を呉氏とするのは誤り。このことについては、前の第174話(03)を参照。

やがて山の一方から大声がする。約500の兵がふた手になり追ってきたのだ。趙雲(ちょううん)は劉備と夫人を先へ行かせ、後に残って防ぐ。

この日の難は一応逃れたかにみえたが、次の日、また次の日と、劉備の道は先へ行くほどふさがれていた。柴桑の周瑜(しゅうゆ)と呉の孫権(そんけん)の廻符(かいふ)は、もう八方に行き渡っていたのである。

水路も陸路も往来には木戸の改めが厳重を極め、要所は徐盛(じょせい)と丁奉(ていほう)の部下3千が遮断していた。

劉備が痛嘆すると趙雲は、軍師(ぐんし)の諸葛亮(しょかつりょう)があらかじめこういう場合にも、囊(ふくろ)の中から訓(おし)えられていますと言い、耳に何かささやく。

趙雲が諸葛亮から3つの錦囊を渡されたことについては、先の第172話(04)を参照。

夫人が細腰に帯している小剣の柄に手をかけ、激しい言葉を吐くと、ふたりはまったく慴伏(しょうふく。恐れてひれ伏すこと)してしまう。

これを見た夫人は車の内に移り、たちまち道を急がせる。劉備も馬の背に伏して駆け通り、500の兵も足を速めた。徐盛と丁奉は、趙雲が道端で殿軍(しんがり)をしていたため空しく一行をやり過ごし、やがて2、3里(り)ばかり戻っていく。

彼方から来た陳武(ちんぶ)と潘璋(はんしょう)は徐盛と丁奉から話を聞くと、ふたりにもついてくるよう言い、さらに劉備を追う。

劉備らは長江(ちょうこう)の岸に沿って急いだが、また呼び止める者があるので、騒然一団になって立ち淀(よど)んでしまった。

夫人は再び車から降り、やってきた陳武らの無作法を叱る。すると、追手の4人の大将は空しく夫人の車を見送ってしまう。この時も、趙雲が一手の軍兵をもって最後まで4人の前に殿軍していたため、手出しはおろか、私語をする隙間(すきま)もなかった。

4人が十数里も戻ってくると、一彪(いっぴょう)の軍馬と颯爽(さっそう)たる大将が来て呼びかけた。見れば蔣欽(しょうきん)と周泰(しゅうたい)だった。

面目なげに陳武が不首尾を語ると、蔣欽は4人を励まし、主君がお手ずからわれらに剣をお預けになったと言う。

徐盛と丁奉は先回りして周瑜にこの由を伝え、水上より早舟を下して江岸と江上をふさぐ。蔣欽・周泰・陳武・潘璋の4人は陸路を追い詰めることになった。

(02)劉郎浦(りゅうろうほ)

劉備らは柴桑の城市を横に見、郊外を遠く迂回(うかい)して劉郎浦と呼ぶ一漁村までたどり着く。ところがどうしたことか、漁村らしいのに舟は一艘(いっそう)も見当たらない。

『三国志演義大事典』(沈伯俊〈しんはくしゅん〉、譚良嘯〈たんりょうしょう〉著 立間祥介〈たつま・しょうすけ〉、岡崎由美〈おかざき・ゆみ〉、土屋文子〈つちや・ふみこ〉訳 潮出版社)によると「劉郎浦は劉郎洑ともいう。後漢(ごかん)では荊州(けいしゅう)南郡(なんぐん)に属した。なお、この地名は実際には三国時代以後に登場した地名であり、唐宋(とうそう)時代の書物には、劉備が呉の孫権の妹を娶(めと)った所として記されている」という。

失望する劉備に趙雲が言う。

「いや、まだご失望は早すぎます。いま例の錦(にしき。いろいろな色糸や金銀の糸を横糸に使い、きれいな模様を織り出した厚い高価な織物)の囊の最後のひとつを開いてみました」

ここで「例の錦の囊の最後のひとつを開いてみました」とあった。この第175話(01)でも囊の中の訓えがどうのこうのと言っていたので、その時に最後(3つ目)の錦の囊を開いたのかと思っていた。もしかしたら、開いた錦囊の数に勘違いがあるのかも?

ちなみに『三国志演義(4)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第55回)では、この第175話(01)の徐盛と丁奉の軍勢が現れたところで、最後(3つ目)の錦の囊を開いたことになっていた。なので、この第175話(02)に相当する場面では錦の囊は(すでに3つすべてを開いたため)開いていなかった。

「すると、このような文が現れました。劉郎浦頭蘆荻(ろてき)答エン。博浪激波シバシ追ウモ漂イ晦(くら)ムナカレ。破車汗馬ココニ業ヲ終エテ一舟ニ会セン」

「察するところ、軍師孔明(こうめい。諸葛亮のあざな)には必ず何かよろしき遠謀があるに違いありません。まずまず、あまりお案じなさいますな」

ほどなく山際の辺りの夕雲がムクムクと動き、鼓の声や銅鑼(どら)が水に響く。言うまでもなく、ここに包囲を計った追手の大軍だった。

だがここで、郎浦湾の渚(なぎさ)の数里にわたる蘆荻が一度にそよぎ立つ。見れば葭(ヨシ)や蘆(アシ)の間から帆を立て、櫓(ろ)を押し出した20余艘の快足舟(はやぶね)がある。

これらの舟は岸に漕(こ)ぎ寄せるやいな、「乗りたまえ、早く早く」「皇叔(こうしゅく。天子〈てんし〉の叔父。ここでは劉備のこと)、いざ疾く」と、手を打ち振って口々に呼ぶ。

その中に、いま舟底から這(は)い出し、ともども呼んでいた道服(道士の服)の一人物があった。ひと目に知れる頭の綸巾(かんきん。隠者がかぶる青糸で作った頭巾〈ずきん〉。俗に「りんきん」と読む)、すなわち諸葛孔明だった。

管理人「かぶらがわ」より

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吉川『三国志』 (07) 望蜀の巻
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