吉川『三国志』の考察 第035話「牡丹亭(ぼたんてい)」

孫堅(そんけん)の急死を知って大喜びし、ついに権力の絶頂を極める董卓(とうたく)。

彼の存在に司徒(しと)の王允(おういん)は心を痛めていたが、ある晩、自宅の後園を歩いていると、幼いころから養育してきた楽女(がくじょ)の貂蟬(ちょうせん)に出会う。

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第035話の展開とポイント

(01)郿塢(びう)

孫堅の死が都の長安(ちょうあん)へも伝わると、董卓は手を打って喜ぶこと限りなかった。

このころ彼の驕(おご)りは絶頂に昇った観があり、位は人臣を極めてなお飽き足らず、太政太師(だいじょうたいし)と称していたが、最近は自ら尚父(しょうふ)とも号していた。天子(てんし。献帝〈けんてい〉)の儀仗(ぎじょう)さえ、尚父の出入りの輝かしさには見劣りした。

また弟の董旻(とうびん)に御林軍(ぎょりんぐん。近衛軍)の兵権を統べさせ、兄の子の董璜(とうこう)を侍中(じちゅう)として宮中の枢機に据えていた。

『三国志演義(1)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第8回)では、董旻を左将軍(さしょうぐん)・鄠侯(ここう)とし(ただしこの官爵は既出)、甥の董璜を侍中に任じて近衛兵を指揮させたとある。

彼につながる一門の長幼縁者は端に至るまでみな金紫(金印と紫色の組み紐〈ひも〉)の栄爵に与(あず)かり、わが世の春に酔っていた。

さらに長安から100余里の郊外の郿塢に、王城をもしのぐ大築城を営み、百門の内には金玉の殿舎楼台を建て連ねた。

井波『三国志演義(1)』(第8回)では、長安城から250里離れたところに25万人の人夫を使役して郿塢を築いたとある。

なお『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・董卓伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く『英雄記(えいゆうき)』によると、郿は長安から260里のところにあったという。

そして郿塢城に20年分の兵糧を蓄え、15歳から20歳ぐらいまでの美女800余人を選んで後宮に入れ、天下の重宝を山のごとく集めた。このようにして董卓は一族を郿塢城に置き、半月かひと月に一度ほど長安へ出仕していた。

(02)長安

その日、朝廷の宴楽台で酒宴が催される少し前、董卓は天文官のひとりを召し寄せた。ここで昨夜、一陣の黒気が立ち月白の中空を貫いたため、諸公の中に凶気を抱く者があるようだと聞かされる。

やがて時刻になって公卿(こうけい)百官が集まり、酒もたけなわのころ、どこからか呂布(りょふ)があわただしく帰ってきて董卓に耳打ちした。

何か小声で命ぜられた呂布は、酒宴の上席のほうにいた司空(しくう)の張温(ちょううん)の髻(もとどり。髪の毛を頭の上で束ねたところ)をいきなり引っつかむ。

その怪力で無造作に堂の外へ連れ去ると、しばらくしてひとりの料理人が異様な料理を捧げ、大きな盤を真ん中の卓に置いた。盤に盛られた物が張温の首だったので、みな震え上がる。

董卓は、張温が南陽(なんよう)の袁術(えんじゅつ)と密かに通じていたため誅殺したのだと説明。この日の酒宴は早めに終わった。

(03)長安 王允邸

宴席から帰った司徒の王允は気を改めようと、宵月の出た後園を歩いてみる。だが胸のつかえは取れず、池畔にかがみ込んで今日の酒を吐いてしまう。

そのときどこからかすすり泣く声が聞こえる。彼女は王允の苦悩を察して泣いていた。王允が邸内の牡丹亭(ぼたんてい)の辺りを見ると、18歳になる楽女の貂蟬がいた。

ここで貂蟬が王允のもとで養育されることになった経緯が語られていた。彼女は生みの親を知らず、襁褓(むつき。おしめ)の籠とともに市場で売られていたのだという。王允は幼少の貂蟬を求めてわが家に養い、珠を磨くように諸芸を仕込み、楽女としたのだとも。なお井波『三国志演義(1)』(第8回)では、貂蟬が16歳になったばかりだとあった。

貂蟬から気遣う言葉をかけられると、彼女をなだめていた王允も涙が止まらなくなる。

貂蟬が胸中の憂いを打ち明けるよう促すと、王允は彼女を画閣(彩色を施した建物)の一室へ連れていき、堂中に座らせ頓首(頭を地面に打ちつけて礼をして)再拝した。

突然のことに驚く貂蟬。しかし世のために生命を捨ててくれるかと問われると、承知の旨を即答する。

そこで王允は董卓を殺す計について話し始める。それは貂蟬を呂布に与えると欺き、わざと董卓のほうへ贈り、ふたりの間を裂いて争わせるというものだった。話を聴き終えた貂蟬は改めて引き受ける決意を語り、覚悟のほどを示す。

数日後、王允は秘蔵の黄金冠を七宝(しっぽう)で飾らせ、音物(いんもつ。贈り物)として呂布の私邸へ送り届けた。

驚喜した呂布は喜びのあまり、さっそく赤兎馬(せきとば)に乗って答礼に来る。すでに歓待の準備を整えていた王允は中門まで出迎え、堂上に請じて敬い拝した。

管理人「かぶらがわ」より

貂蟬という美女を用い、董卓と呂布との離間を図る王允。貂蟬は史実には見えない女性ですが、この吉川『三国志』をはじめとする小説に欠かせない人物だと思います。

『三国志』(魏書・呂布伝)には、呂布が董卓の機嫌を損ねて小さな戟(げき)で殴られた話や、呂布が董卓の侍女と密通していた話が見えます。『三国志演義』はこのあたりから話を膨らませたのでしょうか?

いずれにせよここで貂蟬を登場させることで、簡潔な正史『三国志』の記事をベースにした物語に、鮮やかな色合いが生まれていますね。

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