吉川『三国志』の考察 第081話「青梅、酒ヲ煮テ、英雄ヲ論ズ(せいばい、さけをにて、えいゆうをろんず)」

建安(けんあん)4(199)年、劉備(りゅうび)は許都(きょと)の客館で過ごしていたが、不意に曹操(そうそう)から招待を受け、丞相府(じょうしょうふ)の南苑(なんえん)に通される。

曹操は自ら梅園の案内に立ち、劉備との会話の中から彼の考えを探ろうとするが――。

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第081話の展開とポイント

(01)許都 劉備の客館

(建安4〈199〉年の)夏が近づいたころ、劉備は邸内の畑で野良仕事に精を出していた。この様子を見た張飛(ちょうひ)はまじめに心配し、関羽(かんう)と意見しに行く。

ふたりが畑に来て意中を尋ねると、劉備は笑みを含んだまま黙って話を聞いていた。そして、わからなければ、黙ってそちたちはそちたちの務めをしておれ、と言うばかり。

しかし張飛は食い下がり、我ら3人は一心同体だと言い返す。自分と関羽という手足が明け暮れ弓矢を磨いていても、肩が糞土(ふんど)を担いでいたり、頭が百姓になっていたのでは一心同体とは言えないのだと。

劉備は参ったと言い、軽く笑い流し、深い考えがあってのことだから心配するなとなだめた。こう言われると何も言えず、ふたりは思い直す。よく考えてみると、劉備の日課は董承(とうじょう)との密会後から始まっていた。

劉備が董承と密会したことについては、前の第80話(01)を参照。

それから数日後、関羽と張飛は連れ立って外出したが、客館に帰ると劉備の姿がどこにも見えない。留守の家臣に聞くと、曹操の迎えが来て丞相府へ行ったという。

迎えに来たのが曹操の腹心の許褚(きょちょ)と張遼(ちょうりょう)だったと聞くと、ふたりはいよいよ怪しみ、許都の大路を飛ぶように駆けていった。

(02)許都 丞相府 南苑

劉備は庁ではなく、曹操の邸宅に続く南苑の閣へ導かれる。待っていた曹操は挨拶を交わすと、日に焼けた劉備を見て、近ごろ百姓仕事ばかりしていると聞くが、と水を向けた。

費えもかからず体にもよく、晩飯がおいしく食べられる、などと話す劉備。

曹操は先年の張繡(ちょうしゅう)討伐の際に経験した難行軍を思い起こし、この先に梅林があると偽り、兵士たちの渇きを忘れさせたという自慢話をしながら、自ら梅園の案内に立つ。

張繡討伐の際の難行軍については、先の第69話(02)を参照。

するとにわかに青梅の実がバラバラと落ち、木々がビュウビュウと鳴り、一天暗黒となったかと思う間に、一柱の巻き雲が遥か彼方(かなた)の山陰をかすめて立ち昇った。

召し使いの童子や家臣が口々に、龍だとか、龍が昇天したなどと言っていると、一瞬、掃いていくような白雨(にわか雨)が、サッと速い雨脚で駆け抜ける。

曹操と劉備は木陰で雨宿りし、雨が過ぎるのを待つ。そのときふたりは龍についての意見を述べ合う。

劉備が、まだ真の龍だという実物の片鱗(へんりん)も見たことがないと言うと、曹操は強く顔を振り、自分はこの目で見ていると言う。曹操は、龍とは人間だという自説を持っていた。

曹操から「きみもその一龍だろう」と言われると、劉備は謙遜し、「まず龍は龍でも、頭に土の字の付く龍(土龍〈モグラ〉)のほうでしょうか」とはぐらかす。

さらに曹操は、当代英雄と許してよい人物は誰と誰であろうかと、劉備の胸中を探る。雨がやんだと言い、先に木陰を出て空を見上げる劉備。

管理人「かぶらがわ」より

ここまでとは趣が異なる第81話。客館の畑といい、丞相府の南苑といい、さすがの情景描写だなぁと心に響くものがありました。

戦闘シーンだとどうしても説明っぽくなりがちですけど……。こういうシーンにこそ吉川先生の巧さがよく表れていると感じます。

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