吉川『三国志』の考察 第173話「鴛鴦陣(えんおうじん)」

劉備(りゅうび)は孫権(そんけん)の妹を娶(めと)るため、趙雲(ちょううん)らを伴い、船で呉城(ごじょう)の港に到着した。

その一方、喬国老(きょうこくろう)から話を聞き、初めて娘の縁組みを知った呉夫人(ごふじん。孫権の継母)。いったんは激怒するも、甘露寺(かんろじ)で対面した劉備のことを大いに気に入る。

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第173話の展開とポイント

(01)呉城(京城〈けいじょう〉?) 喬国老邸(橋国老邸)

喬国老は、劉備と呉妹君(ごまいくん)に縁談があったと聞いて驚く。そして、劉備が着船を呉城へ届けていないと知ると、すぐに家臣を走らせる。

さらに家族には劉備一行を心から歓待させ、一応宮中へお伺いしてくると言い、白馬に乗って登城した。

この第173話で呉城としているところは、『三国志演義(4)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第54回)では南徐(なんじょ)となっていた。南徐については先の第171話(06)を参照。

(02)呉城(京城?)

殿中でも大奥でも、喬国老は出入り自在である。孫権の老母の呉夫人に会い、すぐ喜びを述べた。

この記事の主要テキストとして用いている新潮文庫の註解(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉氏)によると、「(ここでいう呉夫人は)呉妹君の生母であり、孫権にとっては継母」だという。

呉夫人については先の第136話(02)を参照。

すると呉夫人は怪訝(けげん)な顔をして、劉備がわが娘をもらいに来たのかと思い、「まあ厚かましい」と舌を鳴らす。

喬国老はあわてて手を振り、呉侯(ごこう。孫権)のほうから呂範(りょはん)を遣わし、切に望んだので、はるばる玄徳(げんとく。劉備のあざな)が呉へやってきたのだと話した。

呉夫人は信じなかったが、家士のひとりに城下の見聞を言いつける。

街の様子を見てきた家士は、河口に10艘(そう)の美船が着き、劉備の随員が市中で買い物をしながら、このたび劉皇叔(りゅうこうしゅく。天子〈てんし〉の叔父にあたる劉備)が御妹姫と婚礼を挙げる、と自慢半分にしゃべっていると報告。

これを聞いた呉夫人は泣きだし、孫権のいる閣へ向かう。

孫権は妹の縁談について問い詰められると、呉夫人と喬国老に、実はすべて周瑜(しゅうゆ)の謀略であることを明かした。

呉夫人は口を極めてその計を謗(そし)り、娘を囮(おとり)にすることを認めない。

喬国老も周瑜の計には反対するが、この際、玄徳を婿と定め、彼の帝系たる家筋と徳望を味方に加え、常に呉の外郭にその力を用いたほうが賢明ではあるまいかと、思うところを述べた。

ところが、呉夫人としてはそれも気の進まない顔で、劉備の年齢などを問題にする。

しかし喬国老は、劉皇叔は当代の英雄で、その気宇はまだ青春だとし、凡人並みに年の数で律することはあたらないと言う。

呉夫人もやや心を動かし、それでは明日その玄徳をひと目見て、もし自分の目にかなったら、娘の婿としてもいいと言いだす。

もとより孫権は孝心の厚い人なので、心の内では煩悶(はんもん)したが、老母の意思には少しも逆らえない。その間に呉夫人と喬国老は、対面の場所や時刻まで決めてしまった。場所は城西の名刹である甘露寺。

喬国老はいそいそ屋敷に帰ると、劉備の客館へ使いを遣って旨を伝えさせた。

事、志と違ってきたので、孫権は一夜煩悶したが、密かに呂範に相談すると事もなげに言う。

「何も、それならそれでよろしいではありませんか。そっと大将の賈華(かか)へお命じなさい。甘露寺の回廊の陰に屈強な力者(りきしゃ)や剣客を選りすぐり、300人も隠しておけば大丈夫です。そしてよい機に……」

孫権は呂範に手配を頼む。一方で、もし呉夫人の心にかなった様子であれば、時を置き、気持ちが変わるまで待つことにする。

(03)呉城(京城?) 劉備の客館

翌日の早朝、呂範は仲人役として劉備を迎えに行く。劉備は細やかな鎧(よろい)の上に錦の袍(ひたたれ)を着、馬も鞍(くら)も華やかに飾って甘露寺へ赴いた。

(04)甘露寺

劉備が趙雲ら500の兵とともに到着。国主の花婿として、甘露寺では一山の僧衆が数十人の大将と迎えに立ち、孫権はじめ呉夫人や喬国老など、本堂から方丈(住職の居室)に満ち満ちて待ち受けていた。

劉備の態度は実に堂々としていた。温和にしてへつらわず、威にして猛(たけ)からず、儀表俗を出て清風の流るるごとく、甘露寺の方丈へ通った。

「儀表俗を出て」は「外見は人並み以上で」というような意味か? ここはよくわからなかった。

『角川 新字源 改訂新版』(小川環樹〈おがわ・たまき〉、西田太一郎〈にしだ・たいちろう〉、赤塚忠〈あかつか・きよし〉、阿辻哲次〈あつじ・てつじ〉、釜谷武志〈かまたに・たけし〉、木津祐子〈きづ・ゆうこ〉編 KADOKAWA)によると、儀表には「容貌・態度」、俗には「つね・なみ・平凡」という意味があるという。つまりこの場面の「儀表俗を出て」は「容貌が平凡ではない」というニュアンスで使われていたことになる。(2020/7/10追記)

一見した孫権も畏敬の念を禁じ得なかったが、ひと目見て彼以上に傾倒したのは呉夫人だった。そのご機嫌はひと通りでない。昨日の彼女とは人が違うようだった。

やがて大宴となると、呉夫人はふと劉備の後ろに屹立(きつりつ)している武将に目を注ぎ、誰かと尋ねる。

劉備から趙雲だと聞くと、当陽(とうよう)の長坂(ちょうはん。長阪)で和子の阿斗(あと)を救ったという名誉の武将かと言い、酒を賜えと勧めた。

趙雲は拝謝して杯を頂きながら、劉備の耳にそっとささやく。

「ご油断はなりませんぞ。回廊の陰に大勢の伏兵が隠れている気配です」

劉備はしばし素知らぬ顔をしていたが、呉夫人の機嫌のいよいよ麗しいころを見て、急に杯を置いて憂い沈んだ。

呉夫人が訳を聞くと鳳眼(ほうがん)に悲しみをたたえ、回廊の外や縁の下に殺気を持った兵が隠れていると、小声で訴える。

新潮文庫の註解によると「(鳳眼は)鳳凰眼(ほうおうがん)ともいう。王侯となる人相とされる」という。なおこの註解があったのは、先の第7話(02)に相当する箇所。当サイトの考察では触れていなかったが、註解とともに図が添えられていた。

呉夫人は愕然(がくぜん)として、たちまち孫権を叱った。孫権は狼狽(ろうばい)し、「いや、知りません。呂範でしょう」と応ずる。

呼ばれた呂範も強情を張り、知らないで通して、「賈華かもしれません」と言い逃れた。

賈華は知らないとは言わなかったが、自分のしたことであるとも言わず、ただ黙然と首を垂れた。

呉夫人は激怒し、武士たちに命じて斬り捨てるよう喬国老を促す。劉備はあわてて命乞いし、ここに血を見ては慶事の不吉だと止めた。

孫権は賈華を追い出し、喬国老が回廊の外や縁の下の者たちを叱り飛ばすと、そこから大勢の兵が逃げ散っていった。

酒宴は夜に及び、劉備は大酔して外へ出る。ふと庭前を見ると大きな岩があった。劉備はジッと見ていたが、何を思ったか天に祈念を凝らし、剣を抜いて振りかぶる。孫権はこの様子を木陰から見ていた。

「わが覇業成らぬものなら、この岩は斬れじ。わが生涯の大望、成るものならば、この岩斬れよ!」

振り下ろした剣は火華を飛ばし、見事に巨岩を両断。ここで物陰から歩いてきた孫権が尋ねると、劉備はこう言い繕う。

「貴家の一門となって、ともに曹操(そうそう)を滅ぼし得るなら、この岩斬れよ。しからずんば、この剣折れん――と天に念じて斬ったところ、この通り斬れました」

そこで孫権も剣を抜き、同じく天へ祈念を凝らして大喝一声すると、剣石ともに響いた。

「やっ、斬れた」と孫権。「オオ。斬れましたな」と劉備。

この奇跡は後世の伝説となり、「甘露寺の十字紋石(じゅうじもんせき)」と呼ばれ、寺中の一名物になったという。

新潮文庫の註解によると「『三国志演義』によれば、劉備は心中で無事荊州(けいしゅう)に戻ることを祈り、孫権は荊州を取り返すことを祈願したという。相反するふたつの祈願は、今後の物語の展開を暗示している」という。

袖を重ねて門外へ逍遥(しょうよう)に出たふたり。

月は小さく、山は大きく、加うるに長江(ちょうこう)の眺めが絶佳なので、劉備は思わず、「あぁ、天下第一の江山」と嘆賞した。後世、甘露寺の門に「天下第一江山」の額が掛けられたのは、彼の感嘆から出たものと言い伝えられている。

劉備はまた、月下の江上を上下してゆく快舸(はやぶね)を見て言った。

「なるほど、北人はよく馬に乗り、南人はよく舟を走らすと世俗のことわざにもありましたが、実に呉人は水上を行くこと平地のようですね」

これを孫権はどう勘違いしたか、「なに、呉の国にも良い馬もあり、上手な騎手もいます。ひと鞍当てましょうか?」と応ずる。

ふたりは二頭の駿馬(しゅんめ)を引き、轡(くつわ)を並べて江岸の堤まで駆けた。劉備もよく走り、孫権もさすがに鮮やかだった。ふたりは相顧みて快笑する。

呉の土民が後にここを「駐馬坡(ちゅうばは。馬を駐〈と〉めた坂)」と呼んだ訳は、この由緒(いわれ)に依るものだとか。

(05)呉城(京城?)

こういうこともあり、つい劉備は十数日を過ごしてしまう。その間、試されたり脅かされたり、しかも日々夜々、歓宴、儀礼、見物、招待ずくめで心身ともに疲れるばかりだった。

趙雲は心配顔だし、喬国老も案じてくれた。喬国老はしばしば宮中へ通って呉夫人を動かし、孫権をなだめ、ついに吉日を卜(ぼく)して、劉備と呉妹君との婚礼を挙げるところまで漕(こ)ぎつける。

華燭(かしょく)の典の当日まで趙雲は主君のそばを離れず、喬国老に頼んで500の随員も呉城へ入れる許可を得て、間断なく劉備の身を守っていた。

それでも婚礼の夜、いよいよ劉備が後堂の大奥へ入ることになると、さすがにそこから先の禁門(宮門)へは入れなかったし、入れてくれとも頼めなかった。

女宮の深殿に導かれた劉備は気も魂もおののく。閨室(けいしつ。寝室)の廊欄には灯火を連ね、立ち並ぶ侍女や局々(つぼねつぼね。各部屋)の女たちまでみな槍(やり)や薙刀(なぎなた)を携え、目もくらむばかりだったからである。

房の内外をつかさどる管家婆(かんかば)という役目の老女は笑って、呉妹君はお幼(いと)けなきころから剣技をお好みあそばし、騎馬や弓矢の道がお好きなのだと説明。決して貴人に危害を加えるためではないとも。

劉備はホッとして、老女や侍女など1千余人の召し使いに莫大(ばくだい)な金帛(きんぱく)を施した。

管理人「かぶらがわ」より

親子以上の年の差がある呉妹君を娶るため、趙雲とともに呉へ乗り込んだ劉備。甘露寺のあたりでは、何だか観光ガイドみたいになっていました。

なお、この第173話のタイトルに使われている「鴛鴦」はオシドリのことです。

テキストについて

『三国志』(全10巻)
吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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