吉川『三国志』の考察 第222話「趙子龍(ちょうしりゅう)」

曹操(そうそう)自ら20万の大軍をひきいて漢水(かんすい)まで迫ると、黄忠(こうちゅう)は劉備(りゅうび)の許しを得て迎撃に向かうが、このとき副将として趙雲(ちょううん)を付けてもらう。

黄忠は少数の兵で、曹操軍の兵糧が蓄えられている北山(ほくざん)を急襲。だが、この動きを読まれて窮地に陥り、全滅寸前のところへ駆けつけた趙雲に救われる。

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第222話の展開とポイント

(01)葭萌関(かぼうかん)

夏侯淵(かこうえん)の首を得たことは、何と言っても黄忠が一代の誉れ。黄忠はそれを携えて劉備にまみえ、さすがに喜悦の色を包みきれず、「ご一見を」と見参に供えた。

劉備も功を称揚してやまず、即座に彼を征西大将軍(せいせいだいしょうぐん)に任じ、その夜は大酒宴を張る。

『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・黄忠伝)によると、このとき黄忠は征西将軍に昇進したという。だが吉川『三国志』では、先の第204話(03)の時点で征西将軍の黄忠とあった。そのためここで征西大将軍に昇進したことになったのかも。

ここへ前線の張著(ちょうちょ)から急報が届く。曹操自ら20万騎をひきい、徐晃(じょこう)を先陣に立てて漢水まで迫ってきたという。そこで兵馬を留め、米倉山(べいそうざん)の兵糧を北山のほうへ移している様子だとも。

諸葛亮(しょかつりょう)は情勢を判断し、劉備に対策を漏らす。これは魏軍(ぎぐん)の弱点を自ら暴露するものだとして、味方の一軍を深く境外へ潜行させるようにと。

敵の輜重(しちょう)を奪うことに成功したら、それは今次の戦いにおいて、第一の勲功と言っても差し支えないとも。

傍らで聞いていた黄忠がその任を望むと、諸葛亮は冷静な面を振り、今度の敵の張郃(ちょうこう)は、夏侯淵とは桁が違うと言う。

結局、諸葛亮は黄忠に散々大言を吐かせてから承知したが、副将として趙雲を連れていくよう言った。

先の第219話(16)では、諸葛亮は張郃より夏侯淵を評価する発言をしており、ここで言っていることと矛盾する。『三国志演義(5)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第70回・第71回)にも同じような場面が出てきた。井波『三国志演義(5)』(第71回)では、諸葛亮が「曹操は夏侯淵とは比べものになりません」と言っており、吉川『三国志』のような矛盾は感じられない。

(02)漢水 黄忠の本営

趙雲は黄忠に、あなたは今度の任務を何の苦もなく引き受けられたが、何か妙計がおありなのかと尋ねる。

そんなものはない、と黄忠。ただ事成らねば、死を期しているだけだと。こたびばかりでなく、それが常に老黄忠の戦に臨む心事なのだと。

これを聞いた趙雲は、あなたにそのような危地を踏ませることはできないと、先陣を買って出る。しかし黄忠は、強いて命を乞うた自分が先に立つのが当然だと言って聞かない。

だが趙雲も譲らず、鬮(くじ)を引き、先陣と後陣を決めようと提案。こうしてふたりが鬮を引くと、黄忠が「先」を引き当てた。

「もし午(うま)の刻(正午ごろ)までに敵地から帰らなかったら、そのときには援軍を繰り出してくれ」

黄忠はそう言い残すと、一軍をひきいて敵地深くへ入っていく。趙雲は見送った後、心もただならぬよう部下の張翼(ちょうよく)に告げた。

「老将軍が午の刻までに帰らなかったら、私はただちに漢水を渡り、しゃにむに敵の中へ駆け込むであろう。そのとき汝(なんじ)はしかと本陣を守り、滅多にここを動いてはならぬぞ」

(03)北山

黄忠はわずか500の部下を連れ、未明に漢水を渡り、夜明けごろには敵の糧倉本部たる北山のふもとへ迫って、山上の兵気をうかがっていた。

井波『三国志演義(5)』(第71回)では、黄忠は500の兵だけを陣営に残したうえ、副将の張著には自分の加勢を命じていた。

「柵は厳しいが、守備は手薄と思われたり。それっ、駆け上って満山の兵糧に火を放て!」

黄忠の一令を耳にするや、蜀兵は朝霧を突き、諸所の柵を打ち破り、まだ眠っていたらしい魏兵の夢を驚かせた。

遥か漢水の東に陣していた張郃はその朝、北山の煙を見て仰天した。にわかに兵に下知して真っ先に駆けつけると、すでに全山の糧倉は炎に包まれている。諸所の山道や坂路では、蜀兵と守備兵とが入り乱れて戦っていた。

ここで張郃が「このうえは小癪(こしゃく)な蜀の雑兵を踏み殺し、せめてはその首将たる黄忠の首でも挙げねば魏公(ぎこう)に申し訳がない……」と言っていた。だが、このときの曹操は魏王(ぎおう)である。それを魏公などと呼んだら、首が飛びかねない不敬だと思う。

このことは早くも曹操の本陣に達し、そこからも北山の煙がよく見えた。曹操はさらに徐晃を増援に送り込む。

(04)漢水 黄忠の本営

このとき、すでに巳(み)の刻(午前10時ごろ)を過ぎていた。今朝から固唾を吞んでいた趙雲は腹を据える。

「まだ午の刻には少し間があるが、あの黒煙が空に見えだしてから時も経つ。いでこのうえは、老黄忠の安否を見届けん――」

趙雲は張翼に改めて言う。

「先にも言った通り、汝は寨(とりで)の狭間(城壁に作った、矢や弾を放つための穴)に弩(ど)を張り、敵が迫るまでみだりに動くな」

こう言い残すやいな、3千の兵を差し招いて野を馳(は)せ、数条の流れを越え、ひたすら北山の黒煙へ近づいた。

(05)北山のふもと

趙雲は、道を遮った文聘(ぶんぺい)の手下の慕容烈(ぼようれつ)を、ただひと突きに突き殺し、血しぶきの中を駆け抜けていく。さらにふもと近くでは、重厚な一軍を構えた焦炳(しょうへい)に阻まれる。

先に来た蜀軍のことを聞くと、焦炳が答えた。

「何を寝ぼけておるか。黄忠をはじめ、蜀の木っ端どもは一兵残らず討ち殺した。汝もまた、わざわざ骨を埋(うず)めに来たか?」

焦炳が鋭い三尖刀(さんせんとう)を差し伸べると、趙雲はありったけな声で吼(ほ)えかかり、敵の胸板に槍(やり)を突き通した。

『三国志演義 改訂新版』(立間祥介〈たつま・しょうすけ〉訳 徳間文庫)の訳者注によると、「(三尖刀は)刀の刃の先が三角形に尖(とが)った両刃剣」だという。

(06)北山

趙雲は意識しないうちに、張郃や徐晃の囲みも突破していたが、誰も彼の前に馬を立てることはできなかった。

北山のここかしこで敵の重囲に陥ち、殲滅(せんめつ)の寸前まで追い込まれていた黄忠軍は、趙雲が救いに来たと知ると、思わず歓呼を上げて集まってきた。500の兵は3分の1に討ち減らされていたが、それでもその中に黄忠の顔が見える。

趙雲は黄忠の身を抱えんばかりに鞍(くら)を寄せ、「お迎えに来た。もう安心されい」と一散に走りだす。

だが、黄忠はなお振り向いてばかりで、部下の張著が見えないと嘆く。これを聞くと趙雲は取って返し、別の囲みから張著を救って走りだした。

この日、曹操は高所に登って戦況を見ていたが、趙雲の戦いぶりに大いに驚く。軽々しく前に立つなと、急に陣鼓を打たせ、味方に向かい、無用の命を捨てるなかれと戒めた。

(07)漢水 曹操の本営

立ち騒ぐ味方をまとめ、曹操は漢水のこなたに陣容を改める。そして自ら陣頭に出たが、これは散々な部下の敗北を、自身の采配で取り返そうとするものらしくみえた。

(08)漢水 黄忠の本営

首尾よく黄忠や張著を救い出し、自軍の寨に帰った趙雲。互いの無事を喜び、また今日の戦勝を賀して、祝杯の用意を命じた。そこへ後詰めの張翼が、馬煙を巻いて逃げ帰ってくる。

張翼は、祝杯どころではないと言わんばかりな顔をして告げた。

「一大事です。曹操が来ました。自身大軍をひきい、やがてこれへ来ます。いやその軍容の物々しさ、何万騎やらただ真っ黒になって漢水を越えてきます」

趙雲は卑怯(ひきょう)を叱り、またすぐ張翼やほかの者たちを激励して言った。

「すべての陣門を開け。射手はみな壕(ごう)の中に身を伏せろ。旗は潜め、鼓はやめよ。そして林のように寂(せき)として、たとい敵が目に映るところまで来ても必ず動くな」

こうしてしばらくすると、まったく鳴りを潜めた寨内から壕橋(ほりばし)にかけ、ただ一騎の蹄(ひづめ)の音が妙に高く聞こえた。趙雲が一騎、槍を横たえ突っ立っている。

やがて魏の先鋒が到着したが、敵が深く謀っているようだと疑心暗鬼にとらわれ、そこからは進み得ない。

曹操は陣前に出て、ためらわずに攻めるよう命ずる。

日は暮れかけていたが、この暮靄(ぼあい)を突き、徐晃と張郃の部隊が突進した。しかし、なお橋上の趙雲がびくとも動かないので、ふたりはいよいよ気味悪く思い、急に駒を返そうとする。

すると、初めて趙雲が呼びかけた。

「やあ、魏の人々。せっかくこれまで来ながら、物も言わぬ間に逃げ帰る法やある。待ちたまえ、待ちたまえ――」

はや曹操までが後から続いてきたので、徐晃も張郃も再び勇を鼓し、濠際(ほりぎわ)へ駆け向かう。

ここで趙雲が下へ向かって何か怒鳴ると、とたんに濠の陰から無数の矢が大地すれすれに射放たれた。魏の人馬は噓のようにバタバタ倒れ、曹操も肝を冷やして逃げ出した。

すでに遅し、蜀の別動部隊は米倉山の横道に迂回(うかい)し、また一手は北山のふもとへ出る。振り返れば、魏の陣々は至るところで火の手だった。

いよいよ曹操は退却に急だったが、当然、寨内から趙雲以下の全軍が追撃してきたため、漢水の流れにかかるや、ここかしこに溺れる者、討たれる者、その数も知れぬほどだった。

管理人「かぶらがわ」より

タイトルにも使われていた趙子龍は、まさに劉備軍に欠かせない存在。関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)とは異なるタイプで、抜群の安定感があります。

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