曹操(そうそう)が送り込んだ蔣幹(しょうかん)を逆に用い、敵の水軍首脳部の入れ替えに成功した周瑜(しゅうゆ)。
次の狙いは自陣に留まっている諸葛亮(しょかつりょう)。そこで周瑜は軍議の席上、水戦に備えてどのような武器を多く調えておくべきか、という話を諸葛亮に向ける。
第153話の展開とポイント
(01)長江(ちょうこう)の南岸 周瑜の本営
周瑜は、曹操が蔡瑁(さいぼう)と張允(ちょういん)を殺し、水軍の首脳部を入れ替えたことを聞く。そこで計略の成功を喜ぶ一方、魯粛(ろしゅく)を通じて諸葛亮の反応を探らせる。
(02)長江の南岸 諸葛亮の船住居
翌日、魯粛が船住居を訪ねると、諸葛亮は今日にも出向き、周都督(しゅうととく。周瑜)に賀を述べたいと思っていたと言う。
魯粛が、何の慶事があったのかと尋ねると、諸葛亮は、周都督があなたをここへ遣わし私の胸を探らせようとなさった、そのことだと言う。
そして、蔣幹を逆に用いて蔡瑁と張允を除いたことは、誠に大成功だったと評価。そのうえで、周都督には私がこたびの計を知っていたことは言わないでほしいと戒める。
(03)長江の南岸 周瑜の本営
しかし魯粛は、周瑜の顔を見ると隠していることができなくなり、すべてを子細に語ってしまう。
話を聞いた周瑜は、いよいよ諸葛亮を恐れる。断じて生かしてはおけないという信念を改めて固めた。
数日後の軍議の席で周瑜はふと話題を捉え、水上の戦いに用いる武器としては何を多量に備えておくべきだろうか、と諸葛亮に尋ねる。
★『三国志演義(3)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第46回)では、この軍議が行われたのは数日後ではなく翌日。
諸葛亮は「現状では弩弓(どきゅう)に勝るものはありますまい」と答えた。
周瑜はうなずいてみせ、呉(ご)のために10万の矢を作ってもらえないかと頼む。
諸葛亮が承諾すると、周瑜は「10日のうちにできますか?」と聞いた。
ところが諸葛亮は自分のほうから、3日のうちに作り上げると言う。
周瑜が「陣中に戯言なし。よもお戯れではあるまいな?」と念を押すと、諸葛亮は「何でかかることに戯れを言いましょう」と自信を見せる。
周瑜と魯粛は考えが読めず困惑するが、念のため魯粛が諸葛亮の気色をうかがうことにした。
(04)長江の南岸 諸葛亮の船住居
翌朝、魯粛が早めに起きて船住居を訪ねると、諸葛亮が、昨日はひどい目に遭ったと皮肉を言う。さらに助けを求め、ご辺(きみ)の支配下にある士卒5、600人ばかりと、船20余艘(そう)をしばらく貸してほしいと頼んだ。
船ごとに30人の士卒を乗せ、船体はすべて青い布と束ねた藁(ワラ)で覆い、岸にそろえてくだされば、3日目までに必ず10万の矢を作り上げ、周都督の本陣まで運ばせると。
ただし、このことも決して周都督にはご内密に願いたい。あるいは都督がお許しなきやもしれませんから、とも言う。
(05)長江の南岸 周瑜の本営
魯粛が諸葛亮の言葉をそのまま伝えると、周瑜は首を傾けて考え込む。そのうち彼の考えを知りたいと思い、望みの兵と船を貸してみるよう言った。
★井波『三国志演義(3)』(第46回)では魯粛は、諸葛亮から船を貸してほしいと言われたことだけは話題にしなかったとある。ただ、諸葛亮は矢竹・羽毛・漆・膠(にかわ)などは用意せず、別に方法があるようだとだけ報告したと。
(06)長江の南岸
2日目も過ぎ、3日目の夜になった。それまでに20艘の兵船は諸葛亮の指図通り布と藁での偽装を終え、各船に30人ずつの兵が乗り込み、むなしく江岸につながれていた。
魯粛が様子を見に来ると、諸葛亮は待っていたように、一緒に江北(こうほく)の岸まで来てほしいと言う。矢狩りに行くのだと。諸葛亮は笑いながら、怪訝(けげん)がる魯粛の手を取り船内に誘い入れた。
管理人「かぶらがわ」より
周瑜の妙計をことごとく看破する諸葛亮。見破っていたことを魯粛には話すところがミソなのでしょうね。
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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