吉川『三国志』の考察 第256話「石兵八陣(せきへいはちじん)」

大規模な火計を用いて蜀軍(しょくぐん)に大勝した陸遜(りくそん)。逃げた劉備(りゅうび)を追って魚腹浦(ぎょふくほ)の近くまで進み、古城の一関に野営する。

翌朝、陸遜は、魚腹浦から感じられる強烈な殺気の正体を確かめようと、自ら十数騎を連れて周辺を見て回る。土地の漁夫から、諸葛亮(しょかつりょう)が残したという怪しげな石組みの話を聞き、陸遜らはその石陣に踏み入るが……。

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第256話の展開とポイント

(01)劉備敗走後の蜀軍

全軍ひとたび総崩れに陥ちてからは、700余里を連ねた蜀の陣々も、さながらみなぎる洪水に分離され、浮き島の姿となった村々と同じようなものだった。

その機能も連絡も失い、各個各隊が思い思いに、呉(ご)の滔々(とうとう)たる濁水の勢と戦うほかはない。このため、昨日から今日にかけて討ち死にを遂げた蜀の大将は、幾人か知れなかった。

まず傅彤(ふとう)は、呉の丁奉(ていほう)に包囲されて降参を勧められたものの、これを拒否して大軍の中へ駆け入り、華々しく玉砕を遂げる。

また祭酒(さいしゅ)の程畿(ていき)は、わずか十数騎に討ち減らされ、江岸まで走ってきたところ、そこもすでに呉の水軍に占領されており、たちまち進退窮まってしまう。

ここで呉の一将が降伏を呼びかけたが、程畿は四角八面に馬を躍らせた末に、自ら首を刎(は)ねて見事な最期を遂げた。

蜀の先鋒の張南(ちょうなん)は、久しく夷陵城(いりょうじょう。彝陵城)を囲んで、呉の孫桓(そんかん)を攻め立てていた。

『三国志演義(5)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第84回)では、長期にわたって彝陵城を包囲していたのは呉班(ごはん)と張南。

ここへ、味方の趙融(ちょうゆう)が馬を飛ばしてきて告げる。

「中軍が敗れたので、全線崩れ立ち、天子(てんし。劉備)のお行方もわからない」

井波『三国志演義(5)』(第84回)では、このとき蜀軍の敗北を伝えに来たのは馮習(ふうしゅう)。

こう聞くと張南はにわかに囲みを解き、劉備の跡を尋ねて中軍にまとまろうとした。しかし、このとき城中の孫桓が追撃に出て、各所の呉軍と結び合い、張南と趙融の行く先々をふさいだので、ふたりとも乱軍の中にあえなく戦死してしまった。

こういう蜀軍の幹部が相次いで討たれたのみか、遠く南蛮(なんばん)から援軍に参加していた例の蛮将の沙摩柯(しゃまか)に至るまで、呉の周泰(しゅうたい)に捕捉されて首を挙げられる。

さらに杜路(とろ)や劉寧(りゅうねい)は、手勢をひきいて呉の本営へ降人となり、余命を託すという哀れな始末だった。

井波『三国志演義(5)』(第84回)では、猇亭(おうてい)で蜀軍が敗北し、劉備も戦場で殺されたという誤報が流れたとあり、これを聞いた孫夫人(孫権〈そんけん〉の異母妹で劉備の夫人)は車を駆り立てて長江(ちょうこう)の岸辺に行き、西を向いて慟哭(どうこく)すると、長江に身を投げて死んだとあった。だが、吉川『三国志』ではこの件を採り上げていない。

(02)魚腹浦の近郊

呉の総帥たる陸遜は、今こそ本来の面目を示し、この大勝を機に自ら大軍をひきいると、敵に息つく間も与えず、劉備の逃げた方向へひた押しに追い詰めていく。

すでに、魚腹浦の手前まで迫る。ここには古城の一関があった。陸遜は野営して兵馬を休め、その夕、関上から前方を眺める。すると非常に驚き、左右の大将を顧みて言った。

「遥か山に沿い、江に臨んで、一陣の殺気が天を突くばかりに立ち上っている。必定、敵の伏兵が、殺を含んで待ち受けているものと察せられる。進むべからず、進むべからず――」

にわかに10里余り陣を退いて、入念に行く先をうかがわせる。ほどなく物見の兵が次々に帰ってきたが、言い合わせたように、同じような報告ばかりをもたらす。

「おりません。敵らしい者は一兵も見えません」

陸遜は怪しみ、再び山へ登って、彼方(かなた)の天をジッと見る。そして、うめくようにつぶやきながら下りてきた。

「濛々(もうもう)たる鬼気、凜々(りんりん)たる殺雲。どうして伏兵でないはずがあるものか。物見の未熟に違いない。老練な隠密を選(よ)りすぐり、さらに入念に見届けさせろ」

夜に入っても気にかかるとみえ、幾度も陣前に出て、魚腹浦の夜空を眺めていた。

「不思議や、夜に入れば昼よりもなお、殺気陰々たるものがある。そも、彼処(かしこ)の伏兵は、いかなる神変の兵であろうか」

さしもの陸遜も懐疑逡巡(しゅんじゅん)し、夜もすがら心の平静を得なかったようである。ようやく未明のころ、老練な物見の上手が立ち帰って話した。

「いくら子細に探っても、彼処に敵兵がいないことは確実です。けれど、江岸の磯(いそ)から山と山との隘路(あいろ)にわたり、大小数千の石が、あたかも石人のように積んであります。そこに立つと蕭殺(しょうさつ。冷たい秋風が草木を枯らす様子)たる風を生じ、鬼気肌に迫るものが覚えられます」

(03)魚腹浦

ついに陸遜は意を決し、自ら十数騎を連れ、まだ暁闇のころ魚腹浦へ向かい、あちこちを視察して歩いた。

4、5人の漁夫がいたので駒を止め、諸所にうずたかく石が積まれている謂(い)われを尋ねる。

中でも年取った漁夫が答えた。

「先年、この土地へ諸葛孔明(しょかつこうめい。孔明は諸葛亮のあざな)という人が蜀の国に入る途中で船を寄せ、多くの兵を降ろし、幾日も合戦の調練や陣組みをしておりました」

「やがて船に乗って帰った跡を見ると、いつの間にか、この付近一帯に石の門やら石の塔やら、人間に見えるような石組みがおびただしくでき上がっておりました」

「それ以来、江の水も妙なところへ流れ込み、ときどき旋風が起こったりするので、誰もあの石陣の内には立ち入らないようになってしまいました」

陸遜はこれを聞き、「さては孔明の悪戯(わるさ)か――」と再び馬を打ち、堤の上へ駆け上がる。高きに登って見渡すと、一見、乱立岸々たる石陣にも自ら整々たる布石の相(すがた)があり、道に従って四方八面に門戸があった。

「擬兵(敵を欺くための偽りの兵。疑兵)、偽陣。これはただ人を惑わす詐術にすぎない。このようなものに、昨日からいらざる惑いを抱いていたことの恥ずかしさよ」

陸遜は呵々(かか)と大笑すると、やがて水に沿い、山に沿い、石陣の中を一遊して帰ろうとした。ところが主従十数騎は、狐(キツネ)につままれたように、あちこちを迷い歩く。どうしても乱石の八陣から出られなくなってしまったのである。

そのうちに日は陰り、狂風砂を飛ばし、白波乱岸を打ち、天地は須臾(しゅゆ。しばらく)の間に険しい凶相を現してきた。人々の目は次第に血走ってくるが、なお石陣の外へは出られなかった。

するとひとりの白髪の翁が、ふと前に立ってニヤニヤ笑う。

陸遜が何者かと尋ねると、翁は答えた。

「わしは諸葛亮の舅(しゅうと)の黄承彦(こうしょうげん)の友で、久しくこの先の山に住んでいる者なり」

陸遜が礼を厚うして道を問うと、翁は言った。

「たぶん、お迷いになっているものであろうと思い、山を下りてこれへ来ました。さあ、こうおいでなさい」

杖を引いて老翁が先に立つと、陸遜と部下たちは苦もなく八陣の外へ出ることができた。

「さようなら。手前が八陣の内からあなた方を出してあげたことは、誰にも言わないでください。孔明の舅にあたる黄承彦に悪うございますからね」

白髪の翁はそう言うと、飄々(ひょうひょう)と杖を風に任せ、暮靄(ぼあい)の山へ帰っていった。

どう考えたか、急に陸遜は全軍に令し、飛ぶがごとく呉へ引き揚げてしまった。

管理人「かぶらがわ」より

『三国志演義』(第84回)では、陸遜らを八陣の中から脱出させたのは、黄承彦その人だということになっていました。吉川『三国志』では、これを黄承彦の友に代え、諸葛亮とのつながりが遠い人物が助けたことにしています。

『三国志演義大事典』(沈伯俊〈しんはくしゅん〉、譚良嘯〈たんりょうしょう〉著 立間祥介〈たつま・しょうすけ〉、岡崎由美〈おかざき・ゆみ〉、土屋文子〈つちや・ふみこ〉訳 潮出版社)によると、「八陣図は、もとは諸葛亮が八陣法を訓練するために石を積んだ模型であり、『三国志演義』はこれに神秘性を持たせたもの」とあり。

「また(正史『三国志』の)『蜀書(しょくしょ)・先主伝(せんしゅでん)』および『呉書(ごしょ)・陸遜伝』によれば、劉備が白帝城(はくていじょう)に逃げ帰った後、陸遜自身は魏(ぎ)の侵入を防ぐため軍を引き返しており、魚腹浦へは行かず、将軍の李異(りい)・劉阿(りゅうあ)らを追撃に派遣したのみである。したがって『三国志演義』に書かれているのはまったくの虚構である」ともありました。

つまり、諸葛亮持ち上げの陸遜貶(おと)し。創作の話としてはおもしろいと思いますけど、こういう使い方には賛成できないですね。

なお、この記事の主要テキストとして用いている新潮文庫の『三国志』(九)出師の巻には、巻頭の折り込みページに「諸葛亮が用いた『八陣』とは」という項目の解説がありました。

『三国志』(九)出師の巻
吉川英治(よしかわ・えいじ)著
新潮社 新潮文庫
初版 2013/08/01
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あと、ここまでの一連の夷陵の戦いにおいて、『三国志演義』にはたびたび登場していた呉班が、吉川『三国志』では意図的に削られている印象を受けました。

先の第249話(01)で閬中(ろうちゅう)から駆けつけ、東征軍に合流していたのですが、その後は不思議と見えなくなっています。このあたりの意図が知りたいところ。

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