吉川版『三国志』の考察 第070話 「北客(ほっきゃく)」

またも宛城(えんじょう)の張繡(ちょうしゅう)討伐を果たせず、許都(きょと)に戻ってきた曹操(そうそう)。

そこへ冀州(きしゅう)の袁紹(えんしょう)の使節団が到着。北平(ほくへい)の公孫瓚(こうそんさん)との間で国境を巡る争いが起きたことを伝えたうえ、兵員や兵糧の援助を求める旨の書簡を差し出す。

第070話の展開とポイント

(01)許都(きょと)

許都に帰り着いた曹操(そうそう)は軍隊を解くにあたり。先ごろ安象(あんしょう)で劉表(りゅうひょう)と張繡(ちょうしゅう)の連合軍に待ち伏せされた際、100人足らずの手勢をひきい苦戦を援けていた将を捜すよう命ずる。

「安象」については前の第69話(04)を参照。

幕僚のひとりが将台に立ちその由を全軍に伝えると、「李通(りつう)」という者が名乗り出た。

かつて李通は黄巾(こうきん)の乱で功を立て、一時は「鎮威中郎将(ちんいちゅうろうしょう)」を務めていたが、その後、思うところがあり故郷の汝南(じょなん)に帰っていたのだという。

井波版『三国志演義』(第18回)では、李通が現任の「鎮威中郎将」であるように書かれている。

曹操は李通を「裨将軍(ひしょうぐん)」に任じて「建功侯(けんこうこう)」に封じ、郷土に戻って汝南の守りに就くよう命ずる。

「裨将軍」については原文は「稗将軍(ひしょうぐん)」。新潮文庫の註解(渡邉義浩〈わたなべ・よしひろ〉氏)に従い「裨将軍」としておく。なお、井波版『三国志演義』(第18回)では李通が「建功侯」に封ぜられたという記述は見えるが、「裨将軍」に任ぜられたことは見えない。

井波版『三国志演義』(第18回)では、ここで曹操が上表し、孫策(そんさく)を「討逆将軍(とうぎゃくしょうぐん)・関内侯(かんだいこう)」とするよう取り計らっている。使者を派遣して江東(こうとう)に詔(みことのり)を届けさせ、劉表を防いで掃討せよと命じたともある。

さすがに今年の秋は昨年のような祝賀の祭りはなかったが、このころ50人ばかりの従者を連れた華やかな一行が駅館に着いた。冀州(きしゅう)の袁紹(えんしょう)の使者だった。

(02)許都 丞相府(じょうしょうふ)

禁裏(宮中)を退出した曹操が丞相府に戻ってひと休みしていたところ、郭嘉(かくか)が袁紹の書簡を届ける。

袁紹はこの書簡の中で、北平(ほくへい)の公孫瓚(こうそんさん)と国境の争いを起こしたため、兵糧が不足し兵士も足りないと言って協力を求めていた。曹操は不快な表情を見せ、袁紹の傲慢(ごうまん)な態度への余憤を漏らす。

すると郭嘉は漢(かん)の高祖(こうそ。劉邦〈りゅうほう〉)が項羽(こうう)を制した例を持ち出したうえ、曹操の10勝の特長と袁紹の10敗の欠点を数え上げる。

その夜、曹操は袁紹の存在に対し深い思考を巡らせた。やがて袁紹と戦う腹を固めたが、翌日になると丞相府の役人に荀イク(じゅんいく)を呼びに行かせる。

曹操は人を遠ざけて待っていたが、荀イクが来ると昨日受け取った袁紹の書簡を見せて意見を聞く。

荀イクは袁紹討伐の決意を聞き賛成の意を示す。またこの時、わが君には4勝の特長があり、袁紹には4敗の欠点があると、郭嘉と同じようなことを言う。

喜んだ曹操は、袁紹の使いを斬り即時宣戦してもよいかとも尋ねるが荀イクは反対。常に許都をうかがっている呂布(りょふ)を忘れてはいけないと言い、まだ荊州(けいしゅう)方面も安定していないと指摘する。

曹操はその見解を聞き気の長い話だと感ずるが、荀イクは一瞬のことだと応じ、もうひとたびの忍耐が肝要だと言う。郭嘉と荀イクの意見がまったく同じなので、ついに曹操も迷いを捨てた。

翌日、袁紹の使者を呼び、要求の件を承知した旨を伝え、糧米や馬匹(ばひつ)ほか、おびただしい量の軍需物資を調えて引き渡す。

そして使者には盛大な宴を設けてねぎらい、その帰国に際しては特に朝廷に奏請し、袁紹を「大将軍(だいしょうぐん)・太尉(たいい)」に進め、冀州・青州(せいしゅう)・幽州(ゆうしゅう)・幷州(へいしゅう)の4州を併せて領するよう言い送った。

ここにある「大将軍・太尉」には違和感があった。「大将軍」と「太尉」を兼ねるというのはあまり聞いたことがないが……。

管理人「かぶらがわ」より

ここに来て袁紹との決戦を意識する曹操。それでも郭嘉と荀イクの意見を聞き今しばらくは先送り。

とはいえ、袁紹の実力っていったい。郭嘉と荀イクの評価を合わせると実に曹操の14勝ということに……。これは絶望的な差ですよね。

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