吉川『三国志』の考察 第143話 「宝剣(ほうけん)」

当陽(とうよう)で曹操軍(そうそうぐん)に追いつかれてしまった劉備(りゅうび)。趙雲(ちょううん)は乱戦の中から、淳于導(じゅんうどう)に捕らえられていた糜竺(びじく。麋竺)や劉備の甘夫人(かんふじん)を救い出す。

さらに、ちょうど行き会った夏侯恩(かこうおん)を討ち取ると、その背から宝剣として名高い青釭(せいこう)の剣を得た。

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第143話の展開とポイント

(01)当陽(とうよう)

曹仁(そうじん)配下の淳于導(じゅんうどう)はこの日、劉備(りゅうび)を追撃する途中で行く手に立ちふさがった糜竺(びじく。麋竺)と戦い、手捕りにして鞍脇(くらわき)に縛りつけた。

淳于導は勢いに乗り、1千余の部下を励ましながら、今度は趙雲(ちょううん)のそばへ駆け寄る。

槍を交えた淳于導だったが、かなわじとあわてて馬首を巡らせかけた刹那(せつな)、趙雲の鋭い槍が体を突き上げ、血を撒(ま)きこぼし大地へ叩(たた)きつけていた。

残りの雑兵たちを追い散らすと、趙雲は糜竺を助け下ろす。そして敵の馬を奪い彼を搔(か)き乗せ、甘夫人(かんふじん)も別の馬に乗せ長坂橋(ちょうはんきょう)のほうへ急いだ。

(02)長坂橋

長坂橋の上には張飛(ちょうひ)がただ一騎でいた。張飛は趙雲を見て罵るが、後ろの甘夫人に気づくと、曹操(そうそう)に降伏したらしいという誤解も解ける。趙雲は甘夫人と糜竺を託すと、再び馬を躍らせ敵中へ駆け戻っていった。

(03)当陽

すると彼方から、10人ほどの部下を従えた若い武者がゆったりと駒を進めてくる。趙雲が一騎だったので近づくまで敵と気づかなかったらしく、不意に名乗りかけられひどく驚いた様子。

趙雲は従者を追い散らして若武者も討ち取るが、その背にあった剣に目を付ける。剣の柄には青釭(せいこう)の二字が象眼されており、この若武者が夏侯恩(かこうおん)だとわかった。

夏侯恩は夏侯惇(かこうじゅん)の弟で、曹操の側臣中でも最も愛されていたひとりだった。曹操は秘蔵の剣である青釭と倚天(いてん)のふた振りのうち、倚天の剣を自ら帯び、青釭の剣を夏侯恩に佩(は)かせていたという。

ここで出てきた夏侯恩は正史『三国志』には見えない。

趙雲は狂喜した。かかる有名な宝剣が図らずも身に授かろうとは。それを背に斜めに負うやいな、再び馬に飛び乗り、野に満つる敵中へ馳駆(ちく)していった。なお糜夫人(麋夫人)と幼主の阿斗(あと)の行方を尋ね回る。

その時、負傷し地に倒れていた百姓のひとりが首を上げ、幼児を抱き倒れている貴婦人を見たと伝えた。

言われた場所へ行ってみると、破れ墻(やれがき)の陰で幼児の泣き声がする。趙雲の声に、枯れ草をかぶり潜んでいた貴婦人は子を抱いたまま逃げ去ろうとした。しかし深手を負っているとみえ、すぐにバタリと倒れてしまう。

これは糜夫人で、やってきたのが趙雲とわかると阿斗の身を預ける。そして自分が馬を取ったら、将軍(しょうぐん)は阿斗を抱いて徒歩(かち)で敵中を行かねばならないと言い、傍らの古井戸へ身を投げてしまった。

趙雲は声を上げて泣いたが、草や墻の板を投げ入れ井戸を覆うと鎧(よろい)の紐(ひも)を解き、胸当ての下にしっかりと阿斗を抱き込む。

ここで阿斗が3歳とあった。劉禅(りゅうぜん。阿斗)は建安(けんあん)12(207)年生まれなので、この時(建安13〈208〉年)はまだ2歳のはず。先の第122話(05)を参照。

吉川『三国志』の考察 第122話 「食客(しょっかく)」
曹操(そうそう)に汝南(じょなん)を追われて以来、劉備(りゅうび)主従は荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)のもとに身を寄せていた。彼らの立場は規模の大きい食客のようなものだったが、劉表のほうでも劉備らをうまく活用しようとする。...

趙雲は、取り巻いていた敵兵を無視するように馬の尻(しり)に一鞭(いちべん)を加え、墻の破れ目から外へ突き出した。曹洪(そうこう)配下の晏明(あんめい)が三尖両刃(さんせんりょうじん)の怪剣を振るって挑みかかる。

『三国志演義 改訂新版』(立間祥介〈たつま・しょうすけ〉訳 徳間文庫)の訳者注によると「(三尖刀は)刀の刃の先が三角形に尖(とが)った両刃剣」だという。

しかし、趙雲の大叱咤(だいしった)にたじろいだ刹那、一閃(いっせん)に突き殺されてしまった。

続いて張郃(ちょうこう)が道をふさぎ、長い鎖の両端に2個の鉄球を付けた奇異な武器を携えて吠(ほ)えかかる。驚くべき腕力と錬磨の技をもってふたつの鉄球をこもごも投げつけ、趙雲の得物を搦(から)め捕ろうとした。

ここでの「搦め捕ろうとした」はいくらかつかみにくかった。搦め捕るは縄を掛けて捕らえるという意味だと思うが、この場合は絡めて奪い取るという意味合いが強いと思う。なので絡め(て)取るぐらいにしておいたほうがよかったかも。

さしもの趙雲もこの怪武器に槍を取られ、応接の暇(いとま)もなく飛んでくる2個の鉄球にタジタジと後ずさる。今は強敵と戦っている場合ではない、と気づくと急に馬を返し、猛撃を避けながら駆け出す。だが、張郃は悪罵を浴びせ激しく追ってくる。

やがて趙雲は馬もろとも野の窪坑(くぼあな)に落ち転ぶ。張郃はすぐに馬上から一端の鉄球を放り込む。ところが鉄球は趙雲の肩を逸(そ)れ、坑口(あなぐち)の土壁に埋まった。

その隙(すき)に趙雲は躍り立ち、背の青釭の剣を引き抜くやいな、張郃の肩先から馬体まで一刀に斬り下げてすさまじい血をかぶる。

このくだりは吉川『三国志』の謎のひとつ。ここで出てきた張郃はもと袁紹(えんしょう)の配下で、官渡(かんと)の戦いの際に曹操に降った人物だと思うが、どう見てもここで討たれたような記述になっている。実のところ彼はこの後も登場するのだが、そのへんをどう解釈すればいいのかわからなかった。

(切れ味鋭い)青釭の剣で肩先から馬体まで一刀に斬り下げられたものの、一命は取り留めたと解釈するか? ここで斬られた張郃を同姓同名の別人と解釈するか? どちらも苦しい感じだ。

なお『三国志演義(3)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第41回)では、張郃が馬とともに穴に落ちた趙雲に槍を突き刺そうとしたとき、突然ひと筋の赤い光が穴の中から射し上ったとあり、その瞬間、(趙雲の)馬は上空を目がけて跳躍し、穴の外に飛び出す。そして、これを見た張郃は驚いて退却したということになっていた。こういう話なら特に矛盾はないと思う。

そもそも井波『三国志演義(3)』(第41回)では、張郃の旗指物には「河間(かかん)の張郃」とはっきりと大きな字で記されているとあった。やはり彼は、もと袁紹配下の張郃である。

趙雲は青釭の剣の切れ味に驚くが、千軍万馬の中を再び劉備のいるほうへ向かって駆け去った。

井波『三国志演義(3)』(第41回)ではこの後、もと袁紹配下の降将である馬延(ばえん)・張顗(ちょうぎ)・焦触(しょうしょく)・張南(ちょうなん)の4人を登場させ、趙雲と戦うくだりを挟んでいた。ここでは4人とも趙雲に討たれてはいないようだが、吉川『三国志』はこのくだりを省いている。

管理人「かぶらがわ」より

この第143話は趙雲のひとり舞台でした。もしここで阿斗が救い出されていなかったら、その後の展開にどういう影響を与えていたのでしょうか?

あと張郃の件は、吉川先生の筆が走りすぎたということなのか? それとも、そのあたりの記述から「討たれたように見える」と感じた私の感覚のほうにズレがあるのか? イマイチつかみきれませんでした。
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