【姓名】 丁覧(ていらん) 【あざな】 孝連(こうれん)
【原籍】 会稽郡(かいけいぐん)山陰県(さんいんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
虞翻(ぐはん)の後押しを受けるも、孫権(そんけん)の抜てき前に病死
父母ともに不詳。丁固(ていこ。丁密〈ていみつ〉)という息子がいた。
丁覧は8歳で父を亡くし、有力な後ろ盾も持たなかったが、清廉かつ慎重な性格だった。また、財産を従弟に譲ったことから人々の称賛を得た。
やがて丁覧は郡に仕えて功曹(こうそう)まで昇進し、後に始平県長(しへいけんちょう)に転ずる。
虞翻に人柄を評価されて友人の交わりを結ぶと、その助力もあり、丁覧の名は広く知られるようになった。
孫権も丁覧に大きな期待を寄せていたが、まだ抜てきしないうちに病死(時期は不明)してしまった。
孫権は丁覧の死を惜しみ、彼の一族に特別な待遇を与えたという。
管理人「かぶらがわ」より
上で挙げた記事は『三国志』(呉書〈ごしょ〉・虞翻伝)とその裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く虞預(ぐよ)の『会稽典録(かいけいてんろく)』によるもの。
採り上げる順が前後しましたが、丁覧の息子の丁固(丁密)は198年生まれで、彼もまた早くに父を亡くしたとのことですから、丁覧の没年は210年ごろかと思われます。
丁固のほうは父や祖父より長命で、孫権から孫晧(そんこう)の時代まで仕えて司徒(しと)に昇り、273年に76歳で亡くなりました。
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