鄭泉(ていせん) ※あざなは文淵(ぶんえん)

【姓名】 鄭泉(ていせん) 【あざな】 文淵(ぶんえん)

【原籍】 陳郡(ちんぐん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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酒壺(しゅこ)に生まれ変わりたいと願った学者

父母ともに不詳。

鄭泉は学識や志を見込まれ、孫権(そんけん)の下で議郎(ぎろう)を務める。

222年12月、太中大夫(たいちゅうたいふ)の鄭泉は孫権の使者として蜀(しょく)へ向かい、白帝(はくてい)で劉備(りゅうび)に面会した。このことで呉(ご)と蜀は友好関係を回復させることができたという。

だが、その後の鄭泉については記事がない。

また鄭泉は大変な酒好きで、自分が死んだら陶器職人の家のそばに葬ってほしいと遺言したという。

その心は、そうしてもらえば、やがて遺骸が土に還り、酒壺として生まれ変わることもできようというものだった。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)と、その裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く韋昭(いしょう。韋曜〈いよう〉)の『呉書』によるもの。

「呉主伝」には、鄭泉が孫権の使者として、白帝にいた劉備のもとへ遣わされたことぐらいしか書かれていません。彼の人となりについては韋昭(韋曜)の『呉書』に書かれています。

陶器職人の家のそばに葬ってもらえたのかはわかりませんが、彼ほどの酒好きは『三国志』にもそうそう登場しませんね。

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