曹彪(そうひゅう) ※あざなは朱虎(しゅこ)

【姓名】 曹彪(そうひゅう) 【あざな】 朱虎(しゅこ)

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 195~251年(57歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・楚王彪伝(そおうひゅうでん)』あり。

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魏(ぎ)の曹操(そうそう)の息子で曹丕(そうひ)の異母弟、楚王

父は曹操、母は孫氏(そんし)。同母兄には曹子上(そうしじょう)、同母弟には曹子勤(そうしきん)がいる。息子の曹嘉(そうか)は跡継ぎ。

曹彪は216年に寿春侯(じゅしゅんこう)に封ぜられた。

221年に汝陽公(じょようこう)に移封され、翌222年に弋陽王(よくようおう)、同年に呉王(ごおう)に移封された。

224年には寿春県王に移封され、226年に白馬王(はくばおう)に移封された。231年冬に入朝し、翌232年に楚王に移封された。

翌233年になり、先に入朝した際に禁令を犯した罪を問われ、曹叡(そうえい)の詔(みことのり)によって3県1,500戸を削られた。

しかし、翌234年に大赦があったため、削られた県は返された。239年には500戸を加増されて3千戸となった。

249年、兗州刺史(えんしゅうしし)の令狐愚(れいこぐ)が太尉(たいい)の王淩(おうりょう)と共謀し、曹彪を擁立して許昌(きょしょう)に都を置こうと企てた。

廷尉(ていい)を兼ねる大鴻臚(だいこうろ)が、節(せつ。権限を示すしるし)を手に曹彪のもとへ赴き、曹芳(そうほう)の詔を伝えて厳しく責任を追及した。

その結果、251年に曹彪は自殺に追い込まれる。ただ、曹彪の妃(きさき)と子どもたちはみな許されて平民となり、平原(へいげん。地名)に移住させられた。

曹彪の属官と監国謁者(かんこくえっしゃ)は、事情を知りながら補佐・善導の義に反した罪により全員処刑された。曹彪の封国は没収されて淮南郡(わいなんぐん)となった。

254年、曹髦(そうぼう)の詔により、曹彪の息子の曹嘉が常山真定王(じょうざんしんていおう。常山郡の真定県王)に封ぜられた。260年に加増を受けて2,500戸となった。

管理人「かぶらがわ」より

『三国志』(魏書・王朗伝〈おうろうでん〉)に付された「孫叔然伝(そんしゅくぜんでん)」には、「賈洪(かこう)は、延康(えんこう)年間(220年)に白馬王(曹彪)の相(しょう)に転任した。もともと王の曹彪も学問好きだったので、常に彼を師と仰ぎ、三卿(さんけい。藩国の3人の大臣)以上に大事にされた」とありました。

「延康」は220年に曹操が崩じた後、同年の10月に曹丕が帝位に即き、「黄初(こうしょ)」と改元するまでの間だけ使われた年号で、曹彪が白馬王だった時期と合いません。本文の年号が間違っているのか? それとも曹彪の爵位が間違っているのか?

また『三国志』(魏書・陳思王植伝〈ちんしおうしょくでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く孫盛(そんせい)の『魏氏春秋(ぎししゅんじゅう)』には、「任城王(じんじょうおう。曹彰〈そうしょう〉)が突然薨去(こうきょ。223年6月のこと)し、諸王は兄弟を思う悲痛な感情に捕らわれた」。

「曹植(そうしょく)と白馬王の曹彪は(封国への)帰国にあたって帰路をともにし、久闊(きゅうかつ)の思いを述べ合いたいと思ったが、監国謁者は許さなかった」とあり。

「曹植は怒りに駆られながらも曹彪に別れを告げたが、そのときに詩を作った」と続き、有名な「贈白馬王彪(白馬王彪に贈る)」の詩が出てきます。

ここは「贈呉王彪」とすべきではないかという議論は古くからあったそうで、この詩が別人の作ではないかとの声まであったという話を読んだことがあります。

当時の曹植ファンが、その作品を手写して伝えていくうちに、白馬王の時代が長かった曹彪の肩書の部分が、呉王から白馬王に変わっていったという話も。これは『曹操残夢 魏の曹一族』(陳舜臣〈ちんしゅんしん〉著 中公文庫)で読みました。

さらに『三国志』(魏書・朱建平伝〈しゅけんぺいでん〉)には、曹丕が五官中郎将(ごかんちゅうろうしょう)だったころ(211~217年)、朱建平に、自分を含めてその場に集まっていた者たちの人相を見て占わせた際の話が載せられており――。

朱建平は曹彪に「『あなたは藩国を預かられることになりますが、きっと57歳の時に兵禍に遭われます。よろしく備えをなさいますように』と言った」とありました。

計算するとピッタリ合っていて、何だか噓くさい話ですけど、ここは見事に占いが当たったと言いたいのでしょうね。

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