【姓名】 曹攄(そうちょ) 【あざな】 顔遠(がんえん)
【原籍】 譙郡(しょうぐん)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
曹肇(そうちょう)の孫
父母ともに不詳。曹肇は祖父で、曹休(そうきゅう)は曾祖父。
曹攄は若いころから節義を磨き、博学で優れた文学的な才能も持っていたという。
晋(しん)に仕えて三公の府に召され、洛陽県令(らくようけんれい)などを務めて有能だと評価された。
斉王(せいおう)の司馬冏(しばけい)が大司馬(だいしば)として政治を補佐したとき(301~302年)、曹攄は左思(さし)とともに記室督(きしつとく)として仕えた。
その後、中郎(ちゅうろう)を経て地方へ出、襄陽太守(じょうようたいしゅ)や征南司馬(せいなんしば)を務めた。そのころ天下が乱れ、賊を討伐するために呉(ご)へ向かい戦死(時期は不明)した。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
上で挙げた記事は『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・曹休伝)に付された「曹肇伝」の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く張隠(ちょういん)の『文士伝(ぶんしでん)』によるもの。
この『文士伝』では曹肇の孫とだけあり、曹肇の息子として名が見える曹興(そうこう)と曹攄が親子なのかはわかりませんでした。
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