【姓名】 劉英(りゅうえい) 【あざな】 ?
【原籍】 ?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 第077話で初登場。
【演義】 第020回で初登場。
【正史】 登場せず。
創作された人物か? 劉恋(りゅうれん)の息子、欽陽侯(きんようこう)
吉川『三国志』(第77話)および『三国志演義』(第20回)で、劉備(りゅうび)の遠祖として名が挙げられるひとり。
管理人「かぶらがわ」より
正史『三国志』には見えない人物です。
劉貞(りゅうてい)までは『漢書(かんじょ)』に名が見えますが、その後に挙げられている人物の詳細はわかりませんでした。
吉川『三国志』、『三国志演義』とも、劉備が献帝(けんてい)に初めて拝謁した際、劉備の話した出自に興味を持った献帝が、系譜(系図)を取り寄せて確認させる場面で名が出てきます。
吉川『三国志』では、景帝(けいてい)-劉勝(りゅうしょう)-劉貞-劉昂(りゅうこう)-劉禄(りゅうろく)-劉恋-劉英までを挙げた後、続きを省略し、劉雄(りゅうゆう)-劉弘(りゅうこう)-劉備とつないでいました。
『三国志演義』では劉英の後も省略せず、劉英-劉建(りゅうけん)-劉哀(りゅうあい)-劉憲(りゅうけん)-劉舒(りゅうじょ)-劉誼(りゅうぎ)-劉必(りゅうひつ)-劉達(りゅうたつ)-劉不疑(りゅうふぎ)-劉恵(りゅうけい)-劉雄-劉弘-劉備とつないでいました。
この両者は何が言いたいのかというと、「劉備は確かに景帝の末裔(まつえい)なんですよ!」ってこと。
そして曹操(そうそう)からの圧力を感じていた献帝が、「おぉ、朕にかような皇叔(こうしゅく)がおったとは!」ってこと。
創作としては感動の名シーンだと思いますが、それぞれの爵位も含めて突っ込みどころ満載です。
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