蔣斌(しょうひん)

【姓名】 蔣斌(しょうひん) 【あざな】 ?

【原籍】 零陵郡(れいりょうぐん)湘郷県(しょうきょうけん)

【生没】 ?~264年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 第113回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・蔣琬伝(しょうえんでん)』に付された「蔣斌伝」あり。

魏(ぎ)の鍾会(しょうかい)に厚遇されるも、成都(せいと)で反乱に巻き込まれて死す

父は蔣琬だが、母は不詳。蔣顕(しょうけん)は弟。

246年、蔣斌は蔣琬が死去したためその跡を継ぎ、「安陽亭侯(あんようていこう)」に封ぜられた。のち「綏武将軍(すいぶしょうぐん)・漢城護軍(かんじょうごぐん)」となる。

263年、魏の鍾会が蜀へ進攻。漢城に至ると蔣斌に手紙を送り、蔣琬の墓所を掃き清めて祭祀(さいし)を執り行い、敬意を表したいと伝える。蔣斌は心遣いに感謝し、涪県(ふうけん)にある父の墓の場所を教え、鍾会のほうも涪県到着後、言い送った通りに取り計らった。

この年、劉禅(りゅうぜん)が魏のトウ艾(とうがい。登+阝)に降伏を申し入れると、蔣斌も涪県にいる鍾会のもとへ出頭。鍾会から友人の礼をもって遇される。

しかし翌264年、鍾会が成都で反乱を起こすと、蔣斌は弟の蔣顕ともども混乱の中で兵士に殺害された。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事も少なく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。それでも姜維(きょうい)から漢城の守りを任されるほどなので、軍事面には見どころがあったのだと思われます。

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