吉川『三国志』や『三国志演義』に登場する、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の先祖について

こちらの謎は蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の先祖に関するものです。

このカテゴリーでは「三国志の世界」と付き合う中で、管理人(かぶらがわ)が個人的に疑問を感じたテーマを取り上げます。

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概要

正史『三国志』には名が見えず、吉川『三国志』(第77話「許田の猟〈きょでんのかり〉」)や『三国志演義』(第20回)には名が見える以下の13人。

吉川『三国志』と『三国志演義』の両方に名が見える4人

劉昂(りゅうこう) ※沛侯(はいこう)
劉禄(りゅうろく) ※漳侯(しょうこう)
劉恋(りゅうれん) ※沂水侯(ぎすいこう)
劉英(りゅうえい) ※欽陽侯(きんようこう)

吉川『三国志』には名が見えず、『三国志演義』には名が見える9人

劉建(りゅうけん) ※安国侯(あんこくこう)
劉哀(りゅうあい) ※広陵侯(こうりょうこう)
劉憲(りゅうけん) ※膠水侯(こうすいこう)
劉舒(りゅうじょ) ※祖邑侯(そゆうこう)
劉誼(りゅうぎ) ※祁陽侯(きようこう)
劉必(りゅうひつ) ※原沢侯(げんたくこう)
劉達(りゅうたつ) ※潁川侯(えいせんこう)
劉不疑(りゅうふぎ) ※豊霊侯(ほうれいこう)
劉恵(りゅうけい) ※済川侯(せいせんこう)

彼らには何か元ネタがあるのかが謎です。

管理人「かぶらがわ」より

「あぁ、その人たちは全員創作された人物ですよ」ということならそれでいいのですけど、ちょっと気になりませんか?

「何とかつなげないと、何とかつなげないと――」という、主に『三国志演義』を作り上げられた方々の焦りにも似た思いが伝わってくる感じも……。

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