【姓名】 孫氏(そんし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
孫堅(そんけん)の妹
父母ともに不詳。孫羌(そんきょう)と孫堅は兄で、孫静(そんせい)も兄弟。
孫氏は、兄の孫堅と親交のあった徐真(じょしん)に嫁ぎ、徐琨(じょこん)を儲けた。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫権徐夫人伝〈そんけんじょふじんでん〉)によると、孫氏の息子の徐琨が、孫策(そんさく)の下で横江(おうこう)の樊能(はんのう)と于麋(うび)らを討伐する作戦に参加し、当利口(とうりこう)で張英(ちょうえい)と戦ったことがありました。
しかし船が不足していたため、孫策は軍勢を留めて補充しようとします。そのとき軍中にいた孫氏は徐琨に言いました。
「揚州(ようしゅう)の役所が多数の水軍を動員してくると戦いは不利になります。このまま軍勢を留めておいてはいけません」
「蘆(アシ)や葦(い。蘆の生長したもの)を刈って筏(いかだ)を作り、船の役目を補いながら軍勢を渡せばよいのです」
徐琨が母の意見を上言すると、孫策はすぐさま実行に移し、すべての軍勢を渡河させることができたという。
こうして張英を討ち破り、笮融(さくゆう)と劉繇(りゅうよう)を追い散らし、江南(こうなん)経営の基盤を定めることができたとも。
このあと徐琨は、孫策の上表によって丹楊太守(たんようたいしゅ)の職務にあたることになりました。孫氏は息子の出世にもひと役買った形。
当時の女性で作戦に助言しているところをみると、いかにも孫堅の妹という感じがしますね。
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