【姓名】 孫俊(そんしゅん) 【あざな】 ?
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
孫和(そんか)の息子
父は孫和、母は張氏(ちょうし)。孫晧(そんこう)・孫徳(そんとく)・孫謙(そんけん)は兄。
孫俊は258年10月に騎都尉(きとい)に任ぜられた。
聡明で物事の道理にも通じており、国中で評判が高かったものの、後に異母兄の孫晧に殺害された。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
孫俊が孫晧に殺されたというのは、『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫和伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く胡沖(こちゅう)の『呉歴(ごれき)』によるもの。
この記事からは、孫俊が266年の施但(したん)の反乱に絡んで殺されたのか、イマイチはっきりしません。
施但の反乱では異母兄の孫謙が頭領に担ぎ出されており、施但が敗れた後、孫謙は自殺に追い込まれています。
なお、孫俊の母の張氏は孫和の正室でしたが、孫和に殉じて253年に亡くなりました。張氏の父は張承(ちょうしょう)、母は諸葛氏(しょかつし)です。そして張承は張昭(ちょうしょう)の息子、諸葛氏は諸葛瑾(しょかつきん)の娘でした。
孫俊は聡明だったといいますが、その最期は気の毒なものだったようですね。
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