劉瓚(りゅうさん)

【姓名】 劉瓚(りゅうさん) 【あざな】 ?

【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 第118回で初登場。
【正史】 登場人物。

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蜀(しょく)の劉禅(りゅうぜん)の息子

父は劉禅だが、母は不詳。

劉璿(りゅうせん)・劉瑶(りゅうよう)・劉琮(りゅうそう)は兄で、劉諶(りゅうしん)・劉恂(りゅうじゅん)・劉虔(りゅうけん。劉璩〈りゅうきょ〉)は弟。ほかに姉妹が3人はいたことがうかがえる。同母兄弟、同母姉妹なのかはイマイチはっきりしない。

劉瓚は、256年に新平王(しんぺいおう)に封ぜられた。その後、263年に劉禅が魏(ぎ)の曹奐(そうかん)に降伏すると、翌264年には劉禅に付き従って洛陽(らくよう)へ移った。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・後主伝〈こうしゅでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く王隠(おういん)の『蜀記(しょくき)』によると、271年に劉禅が洛陽で亡くなった後、その爵位である安楽公(あんらくこう)は(彼の弟の)劉恂が継いだということです。

劉瓚の没年はわかりませんが、弟の劉恂が父の爵位を継いでいることから、271年の時点で亡くなっていたのかもしれません。

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