【姓名】 曹礼(そうれい) 【あざな】 ?
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~229年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・元城哀王礼伝(げんじょうあいおうれいでん)』あり。
魏(ぎ)の曹丕(そうひ)の息子で曹叡(そうえい)の異母弟、元城哀王
父は曹丕、母は徐氏(じょし)。
曹礼は221年に秦公(しんこう)に封ぜられ、京兆郡(けいちょうぐん)を封国とした。翌222年には京兆王に改められた。
225年に元城王に移封され、229年に薨去(こうきょ)した。
231年になり、任城王(じんじょうおう)の曹楷(そうかい)の息子である曹悌(そうてい)が、曹礼の跡継ぎとして立てられた。
管理人「かぶらがわ」より
『三国志』(魏書・明帝紀〈めいていぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』には、以下のようにあります。
「初め曹丕は曹叡を好まず、曹礼を跡継ぎにしたいと考えていた。このため曹叡は、なかなか皇太子に立てられなかった」
曹丕の意向に関する部分の真偽はわかりませんけど、曹叡が皇太子に立てられたのは226年5月のこと。これは曹丕が崩じた月でもあります。
曹丕は死の間際になってから、ようやく曹叡を正式な後継者としたのは事実ですね。
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