陳騫(ちんけん) ※あざなは休淵(きゅうえん)

【姓名】 陳騫(ちんけん) 【あざな】 休淵(きゅうえん)

【原籍】 広陵郡(こうりょうぐん)東陽県(とうようけん)

【生没】 201?~281年?(81歳?)

【吉川】 登場せず。
【演義】 第111回で初登場。
【正史】 登場人物。

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晋(しん)の要職を歴任

父は陳矯(ちんきょう)だが、母は不詳。陳本(ちんほん)は兄。

陳騫は曹髦(そうぼう)の甘露(かんろ)年間(256~260年)に尚書(しょうしょ)を務め、259年には都督豫州(ととくよしゅう)に転ずる。

その後、曹奐(そうかん)の咸熙(かんき)年間(264~265年)に征南大将軍(せいなんだいしょうぐん)から車騎将軍(しゃきしょうぐん)に昇進。

265年、陳騫は晋の司馬炎(しばえん)から高平公(こうへいこう)に封ぜられた。

後に大将軍(だいしょうぐん)、太尉(たいい)、大司馬(だいしば)といった要職を歴任し、281年に81歳で死去したという。

生没年についてはイマイチはっきりしない。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・高貴郷公紀〈こうききょうこうぎ〉)や『三国志』(魏書・陳留王紀〈ちんりゅうおうぎ〉)などによるもの。

『晋書(しんじょ)』(武帝紀〈ぶていぎ〉)からも歴任した官職を拾い出しましたが、肝心の『晋書』(陳騫伝)の記事は吟味できていません。現状では下手に触らないほうがよさそうなので、いずれ加筆できればと思います。

『三国志』(魏書・陳矯伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く郭頒(かくはん)の『世語(せいご。魏晋世語〈ぎしんせいご〉)』には――。

父の陳矯が劉曄(りゅうよう)に讒言(ざんげん)された際、兄の陳本より弟の陳騫のほうが、曹叡(そうえい)の気持ちをよく理解していた様子がうかがえる記事もあったのですけど……。

いずれにせよ陳騫がらみの記事は少なく、やはり『晋書』の検討が必要ですね。

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