孫羌(そんきょう) ※あざなは聖台(せいだい)

【姓名】 孫羌(そんきょう) 【あざな】 聖台(せいだい)

【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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孫堅(そんけん)の同母兄

父母ともに不詳。孫堅と孫静(そんせい)は弟。孫賁(そんほん)と孫輔(そんほ)という息子がいた。

『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫賁伝)によると、孫賁は早くに両親を亡くし、まだ赤ん坊だった弟の孫輔の親代わりとして、よく面倒を見たという。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

孫堅の同母兄なのに扱いが小さいのは、特筆するような事績がなかったからでしょうか?

『三国志』の訳者注(小南一郎〈こみなみ・いちろう〉氏)によると、「孫羌のあざなは『宋紹熙刊本(そうしょうきかんほん)』では聖壹(せいいつ。聖壱)と作っている」とのことです。

ただ「弟の孫堅のあざなが文台(ぶんだい)、孫静のあざなが幼台(ようだい)であることから考えると、孫羌のあざなも聖台とすべきだろう」とも。

「臺(だい。台)と壹(壱)とが混乱する例は、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・東夷伝〈とういでん〉)に見える邪馬臺(やまたい。邪馬台)と邪馬壹(やまいつ。邪馬壱)が有名で、いろいろと議論がある」とも。

漢字には字体の似たものが多いので、後代の人が写す場合に気を遣うところですね。

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