繆襲(びゅうしゅう) ※あざなは熙伯(きはく)

【姓名】 繆襲(びゅうしゅう) 【あざな】 熙伯(きはく)

【原籍】 東海郡(とうかいぐん)

【生没】 186~245年(60歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・劉劭伝(りゅうしょうでん)』に付された「繆襲伝」あり。

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多くの著作を残した学者

父は繆斐(びゅうひ)だが、母は不詳。息子の繆悦(びゅうえつ)は跡継ぎ。

繆襲は才能と学問が評価され、多くの著作を残した。

御史大夫(ぎょしたいふ)の役所から召され、魏帝4代(曹操〈そうそう〉・曹丕〈そうひ〉・曹叡〈そうえい〉・曹芳〈そうほう〉)にわたって仕え、官位は尚書(しょうしょ)・光禄勲(こうろくくん)まで昇った。

245年、繆襲は60歳で死去し、息子の繆悦が跡を継いだ。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

本伝および裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く摯虞(しぐ)の『文章志(ぶんしょうし)』の記事を併せても、詳しい事績はわかりませんでした。

繆襲の名は『三国志』(魏書・華歆伝〈かきんでん〉)にも見えており、226年に曹叡が帝位を継ぐと、華歆は太尉(たいい)に転じ、博平侯(はくへいこう)に爵位が進んで500戸の加増を受けます。

しかし病気を理由に、辞職して管寧(かんねい)に地位を譲りたいと願い出たため、散騎常侍(さんきじょうじ)を務めていた繆襲が勅使として遣わされました。

繆襲は華歆に曹叡の詔(みことのり)を伝え、辞職を思いとどまるよう説得にあたりますが、このとき彼には「華歆が確かに立ち上がるのを待ってから帰還せよ」という詔も下されていたそうです。

そこで華歆も仕方なしに、ようやく立ち上がったのだとか。

あと『三国志』(魏書・蔣済伝〈しょうせいでん〉)の裴松之注には――。

曹氏の先祖を巡る問題で、蔣済が高堂隆(こうどうりゅう)の(魏は舜〈しゅん〉の子孫であるという)意見を批判したことに関連し、尚書の繆襲と取り交わした文書があるとの記事も見えました。

ただ、その文書が長いということで掲載されておらず、繆襲の考えを知る手掛かりにはなりませんでした。

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  1. 野津征亨 より:

    こんにちは、ご無沙汰しております。
    まだまだ精力的にご活動なさっておられて、頭が下がります。
    対するわたしはだいぶ三国志の世界から離れてしまっております…(苦笑)

    今年も一年お世話になりました。
    来年もよろしくお願いいたします。

    • かぶらがわ より:

      野津さん、ありがとうございます。
      ブログのほうも順調なようで何よりです。
      来る2016年も素晴らしい年でありますように。

      当方はブログ移転から半年余りが経過し、
      だいぶ更新にも慣れてきました。
      来年はもう少しペースを上げたいと思います。

      今後ともよろしく。

  2. より:

    繆襲の読みですが,明治書院,集英社『文選』訳では「びうしふ」(びゅうしゅう)となってました。この問題について,(日本語のルビを振る)という困難から逃げてるわたしがいうのもへんです,あくまでご参考に。

    • かぶらがわ より:

      玄さん、ご助言ありがとうございます。

      ご指摘いただいた「繆」については、
      「びゅう」「きゅう」「りょう」「ぼく」といった読み方ができると思います。

      ただ、「びゅう」と読む場合は「誤る」とか「間違う」という、
      姓としてはマイナスの意味合いが強い気がします。

      参考文献によっても読み方が違う漢字は多くありますので、
      その辺は大目に見てくださいませ。

      このブログ内の用字やルビについては、ツッコミどころ満載だと思います。
      環境依存文字の問題と合わせて、対応に苦慮しています。

  3. より:

    こんにちは。
    やはりですね繆襲をきゅうしゅうとよむ例を探してみましたが,みつかりませんでした。繆襲クラスの文人の名前を読みかえるのはやはりいささか疑問を感じます。また繆の意味はたしかにマイナスイメージ,そこもちょっと気になったのであらためてしらべますと,漢代は繆は”穆”と同じ意味でつかわれています,恭敬ですね,諡号に使われる穆王や穆公などと同じ意味でした。

    ルビに苦労されていることよく解りますし,漢音採用など一定のポリシーを感じさせるところもよくわかったうえで(ほかの名前で違和感を感じることは全くありませんし)・・・・なお,この繆襲にかんしては自分も好きな文人だからというのもあるかもしれませんが違和感は否めません。・・・もとより日本のアカデミズムや権威は絶対にリスペクトしろ,などという気もありませんが一千年来日本では「びうしう」とよまれてきているわけですから,やはり両方を併記するべきではないのかな,とも思います。あえてもうしあげました,おゆるしください

    • かぶらがわ より:

      玄さん、どうもありがとうございます。

      お叱りを覚悟で打ち明けますと、私には「繆襲」の文学面の業績についての知識がなく、『三国志』に名が見えている文人のひとり、程度の認識で採り上げていました。

      「繆」と「穆(ぼく)」が同義として通用することは承知していましたが、「きゅうしゅう」と読んだ場合の違和感すら感じ取れないレベルです。

      人名や地名の表記やルビに悩み続けている状況は今も変わりませんが、原則として漢音を優先することで妥協できる部分もありました。

      人名の例、鄭玄(じょうげん→ていげん)、張嶷(ちょうぎ→ちょうぎょく)、孫和(そんわ→そんか)。

      地名の例、済陰(さいいん→せいいん)、任城(にんじょう→じんじょう)、由拳(ゆけん→ゆうけん)。

      なお、魏の年号の「太和」は「たいわ」と読んでいたりして、実は完全なルビの統一に至っていません。

      ただ今回の「繆」のケースはこれに当てはまらず、まったく別の問題ですので、ルビの併記ではなく修正で対応したいと思います(登場箇所が複数ありますので、しばらくお時間をいただきます)。

      言いにくいことをわかりやすくお伝えくださり、感謝に堪えません。

      「ほかの名前で違和感を感じることは全くありませんし……」と言っていただきましたが、似たようなケースはまだまだあろうかと思います。

      目に余るようなものについては、今後も遠慮なくご指摘ください。

  4. より:

    ありがとうございます,そうおっしゃっていただいてほっとしました。ルビを振るというむずかしさに誠実にむきあっておられ,またご苦労されてることよくわかるだけに,(私などはほんとにそういうルビを振るなどから逃げまくってますので),くちはばったい・・・というかよけいなことかともおもいつつ。ほんとうにむずかしいですよね。
    わたしの知識内で今後も疑問を感じたら率直に申し上げます。違和感も目に余るといったようなこともこれまで感じたことはまったくありません。ではではまた。

    • かぶらがわ より:

      公開済みと下書き状態の記事について、修正作業が終わりましたのでご報告しておきます。

      今回の件とは関係ないのですが、だいぶ前からブログで『三国志』を取り扱うことへの迷いが生じています。

      小説や漫画を読んだりドラマを見たりして、気ままに感想を書きつづっているだけなら大した問題はありませんが、やはり正史に触れていくとなると難しいものがあるなと……。

      もともといろいろな創作作品で感じた疑問や違和感が、子どものころからの『三国志』への興味の出発点になっているため、この分野の素養が余りにも欠けていることに気づくたび、何とも言えない気持ちになるのですよね。

      とはいえ、ただ水面下でデータをまとめているのは味気ないものですし、玄さんのような方からご助言がもらえたりもするので、ブログは学んでいく過程の一部をお見せするメモやノートのようなものと位置づけています。

      『三国志』は本当に奥の深いもので、不思議なほど気づきが絶えないところがおもしろいと思います。

      例えば昨日なども、これまで「驃騎将軍(ひょうきしょうぐん)」や「車騎将軍(しゃきしょうぐん)」に「大」が付くのっておかしくない? と考えていたのが……。

      『後漢書』にいくつも用例があることや、それに関する訳者の補注まであったことに気づく、といった具合。

      それなりに時間をかけても、決して「これでよし!」とならないのが、『三国志』とブログの共通のおもしろさなのでしょう。

  5. より:

    こんばんは
    三国志,創作と正史がより複雑に両者を盛り上げつづける,なお現在に通じるおもしろさもある,人間の技の,業の不思議ですよねえ。わたしはたぶんかぶらがわさんより2~30年ほどは長く生きてると思いますが,年代によっても三国志へのみかたはずいぶんかわってきました。個人的な思いだけでもずいぶんかわりますものですねー。三国志は学ぶことも山ほどある,その過程もまたおもしろく,人が一生費やしてなお余りあるもの,そんな気がします。
     かぶらがわさんはかなり完璧を期したいタイプだろうと私は勝手におもっておりますが,その部分でのいわば「きづき」も,また別にもっと緩いところでも,もっと逆に細かいところでも,きっと豊かに感受なさっているのでしょうね,そういうところはまた,読者は読めばきっと共感もってそれぞれが面白く感じられるとはおもいます。なんせ共通の三国志愛があるわけですからね!

    「大」が付くのっておかしくない?,かんがえてみればたしかにおかしいですよねw
    普通名詞か固有名詞か・・・・大司空,大司馬はいるけど小司空は中司馬はいないじゃん,とか?大中小はかならずしも,エラさの度合じゃないのか?とかw

    とはいえ…ブログって,やはりむずかしー。です。
    コミュニケーション重視か…広く読まれるデータもそろえ…,自分がおもしろいと思うことだけ書いてても見放されたり…w

    どうぞすえ永くおつきあいください^^

    • かぶらがわ より:

      玄さん。いろいろとご配慮いただき、ありがとうございます。

      私のように創作作品から『三国志』に触れた方々の中から、おひとりでもおふたりでも、その先に史実という別の世界があることに気づいていただけるようなブログになればいいなと思います。

      いずれ記事にするネタも途切れるでしょうが、当分は更新を続けられそうですので、引き続きよろしくお願いします。

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